ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

【歌詞和訳】Antônio Carlos Jobim / Forever Green

 アントニオ・カルロス・ジョビンの遺作である「アントニオ・ブラジレイロ」に収録された一曲。なんでも、1992年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された「環境と開発に関する国際連合会議」のために書き下ろされた楽曲なんだとか。国際サミットのテーマソングで、環境保全を訴える内容。日本に住まう我々としては、こうやって字に起こしただけで嫌な予感がしますよね。この手の作品に何度もひどい目にあわされている我々としては、どうせ糞みたいな曲だろうと危機感を抱くのは当然でしょうね。そして試しに聴いてみて、ありえないくらい号泣するんですよ。こらまいりましたねえ。

 戦前のブラジルに生まれ、彼の地の目を焼くような鮮やかな緑に親しんでいたジョビンが早くから環境問題に深い関心を抱いたのは、当然のことだったのかもしれません。彼は前々から自身のエコロジー思想を楽曲として昇華させていましたが、死を数年後に控えた年に、まさしくその集大成として、この曲を作ったのでしょう。六十代とは思えない若々しいその歌声を彩るのは、彼の家族によって結成されたバンダ・ノヴァ、そして、孫ほどに年の離れた愛娘のルイーザ。

 この曲が何故作られたのか、この曲は誰に当てて作られたのか。俺みたいな阿呆でも、一度聴けば分かります。これは、愛するルイーザのために作られた楽曲に違いありません。自分の愛するひとのために、自分の愛した自然を残したい。その思いが本物だからこそ、お着せのプロパガンダソングとは次元を異にした、真の傑作が生まれたのでしょう。そら泣きますよ。とんでもない傑作ですよ。後世に語り継ぐべき名曲ですよ。もしも環境破壊が進み、人が地上から絶えてしまったら、この曲も消えてしまう。ならば絶対に環境破壊はやめよう、なんて、そんな論法をぶっぱなしたくなるほどの曲です。

 

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慟哭青春司法もの

 東京がニコニコ超会議で沸き立ち、ねずみさんたちが生(?)のらきゃっとと会話してガチ泣きしていた昨日今日、俺はいつものように休日出勤して希死念慮を増大させていた。今日に至っては別のチームの先輩が急に異動になることが判明し、彼女が担当していた恐ろしい、おぞましい、地獄のような業務が俺に振られることが決定し、本当に鬱になっている。これからその業務のことで地獄のような電話問い合わせが殺到し激詰めされることを思うと生きた心地がしない。家に帰ってひなビタのササキトモコ作曲の楽曲群を聴いても駄目、ついこの前に配信されたkemt同棲配信を聴いても駄目、とうとう最終兵器として神と崇めているヨコハマ買い出し紀行OSTをガンガン流し、椎名へきるのいつか会えたらを鬼リピートしながら黒崎の鼻を訪れた人々のブログ記事を漁りまくってようやくほのかに人間としての感情を取り戻した。実にこの会社に入ってからは恐ろしいことしか発生しておらず、しかし世間の指標に照らすとまだブラックとは言い難いのが本当に恐ろしい。労働はこれから何十年も続き、その間ずっとこのような目にあい続けると思うと心底気が滅入る。イエスのおじさんは明日のことなんか気にすんな野の百合がそんなこと考えるかよと仰ったが、野の百合には脳髄も労働もないのでそらそんなこと考えませんよ適当言わんでくださいよ。座禅でも組んで悟りを開けば未来は実在せず現在だけが現実なので現在に集中して未来への不安なんかが消失するんだろうがそんな高い徳は俺にはないのでどうしようもない。ということで、いつもみたいに過去に逃げることにする。昔のことを考えれば、未来を忘れられる。
 中学の頃は図書館に入り浸っていて、司書とスクールカウンセラーの先生方ともんのすごく仲良くなった。向こうはどう思ってたか知らないが、こっちは世代や性別を超えた友情を覚えていた。スクールカウンセラーの先生は映画に狂っていて、古今東西のあらゆる映画に精通していた。少なくとも、当時の自分にはそう思えた。かたや自分はNHKでやっていた世界名画劇場に影響され、やっとこさ古い映画を観始めていた頃だった。映画は基本市立図書館で観ていたのだが、映画の数に比べ自分の時間は限られていた。なのでそれを埋めるために、Cinemascapeみたいな映画サイトを暇あればあさっていた。シネスケは老舗だけあって、映画評を書いてる面々は本当に批評家顔負けで、それを読むだけで映画の要点が俺みたいな馬鹿でもある程度分かってしまう。だから、その先生と話しているとき、時おり、そんなネットで観た情報をもとに、観てもいないのに観たふりをすることがたまにあった。向こうはもしかしたら気づいていたかもしれない。でも、それを表に出すことはなかった。そんなやり取りの中で特に印象深いのが、十二人の怒れる男を巡る会話だった。犯罪もの司法もの話になって、自分が観てもいないのに知ったかぶって十二人の怒れる男いいですよね、と言ったら、先生のテンションが俄然上った。彼女の生涯ベストワンの映画がそれなのだという。自分はネットでの記憶をフルに振り絞って、ヘンリー・フォンダの名演がどうとか、必死に彼女に話を合わせた。向こうがそれに乗って全力で映画の魅力をマシンガンのように話し出す。中年、と言っていい年齢だったけれど、その表情は誕生日プレゼントをもらった子供のようだった。その口から流れ出す映画の魅力は俺を固く捉え、心の奥底まで沁みた。彼女の話す十二人の怒れる男は、まさしく、この世の何よりも優れた作品のように思えた。その時の記憶は俺の中に深く刻まれ、そして、十二人の怒れる男は、或る種の聖域のような作品となった。作品そのものを観たのはそれより遥か後、大学生だかの時だった。果たして見事な傑作だったが、しかし、あの時の会話の際に俺が幻視したものよりは、ほんのすこしだけ劣っていた。今では映画そのものの記憶は薄れ、ましてや中学の時の会話など殆ど覚えていない。でも、あのとき覚えた感情と、先生の嬉しそうな表情は、たぶん一生忘れないだろう。
 ちなみに、自分の中での裁判ものの最高傑作はビリー・ワイルダーの情婦だ。これを初めて観たのは、件のNHK世界名作劇場でだった。情婦が放送された日付は2003年2月23日らしい。今からもう15年も前のことだ。その日は母親と二人でダラダラとテレビを観ていた。日曜は特に面白い番組がやってなかったら、当該の時間になるとNHKで名画を観るのがならわしになっていた。ふたりとも、この映画について何も知らなかった。前知識が一切ないままこの映画に出会えたことがどれだけ素晴らしいことか、読者諸賢なら分かってくれるだろう。映画が終わると、母親と二人で興奮して、これはえらいものを観たとはしゃいだ。あんまりにも面白すぎて、確かその夜は眠れなかった。世界名作劇場はその直後に終了した。
 ほら、俺の過去にもこんなうつくしい思い出がある。ああ最高だ最高だ。ただ、もっと記憶をほじくり返すと、小学校の頃通っていた英語教室で密かに片思いをしていた女の子が中学に入ってヤンキーに惚れて当人もヤンキーになって遠く遠くへ行ってしまった事件などがすぐに出土し希死念慮に拍車がかかる。そんな地雷を避けて発掘をつづける俺はまさしくマインスイーパー。そうこうしているうちに日付が変わり月曜になる。特急を待つ駅のホームで一番前に並ぶから、誰か俺を突き落としてくれ。

 

 

  

【歌詞和訳】Mitchell Parish / Deep Purple

 敬愛する戸田誠二の『音楽と漫画と人』の中に、「Deep Purple」という掌編が収められています。イギリスのハードロックバンドであるDeep Purpleのバンド名が、この記事で紹介する曲のタイトルに由来しているという逸話を軸に、音楽を通して人と人が繋がる姿を簡潔に、でもとても美しく描き出した名品です。これを読んですぐ、件の曲を探して聴き、その麗しさにすぐ魅了されました。

 このたびここで歌詞を訳してみたのですが、旋律に劣らずドラマチックな内容でした。訳しながら、これStardustっぽいなあと思って調べてみたら、なんと作詞者が同じというサプライズ。Mitchell Parishという方で、この曲やStardustに加え、Sweet Lorraine、Stars Fell on Alabama、Moonlight Serenade、Sleigh Rideなんかの作詞も手がけているそうです。まさしく二十世紀音楽史の巨人といっていいでしょう。この人の詞もこれからどんどん紹介していければなと思います。

 ここで歌われている”Deep Purple”というのは、たぶん昼と夜の間、いわゆる「マジックアワー」と呼ばれる時間に、空と地上を包むあの唯一無二の紫のことだと思います。映画「ラ・ラ・ランド」のパッケージとかによく描かれてるあの色ですね。確かに、あの紫に包まれると、どんなことが起こっても不思議ではないように思います。

 

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【歌詞和訳】Goody Goody

 遠い遠い昔のとある朝、朝飯を食いながらめざましテレビを観ていると、松浦亜弥の新CMに往年の名曲"Goody Goody"が使われるというニュースが流れた。エヴァンゲリオンのEDの影響でちょっとずつ昔の洋楽を聴き始めてた自分は、わーおこいつは夢のコラボだぜとちょっぴりテンションが上ったのを覚えている。その後英語をちゃんと勉強するようになってから歌詞をちゃんと読んでみたところ、よくこれをまあ第一線のアイドルに歌わせたなと逆に感心した。

 うまく訳せてるか分からないけれど、これは要するにですね、むかし自分を手ひどく振ったりとか、浮気したりとか、そういうことをした糞女が、どっかの浮気な男にひどいめにあわされたと聞いて大喜びしている歌なんですね。"Goody Goody"ってのはそいつに向かってざまあみろ、いい気味だって言ってるんすよ。こういう歌が有る種の古典として今も愛されてるのって、もちろん曲が優れてるのもあるけれど、結局人間はむかしからちっとも進歩してないということの証左なのかもしんないかもね。

 

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『レディ・プレイヤー1』のネタバレ感想

 4月14日金曜日、俺は命懸けて定時ダッシュをして、電車を乗り継ぎ、劇場に向かった。IMAX 3Dのドでかいスクリーンで、公開初日にスティーヴン・スピルバーグの『レディ・プレイヤー1』を観るためだ。金曜夜という微妙な日時だったが、客席はかなり埋まっていて、スピルバーグの威光はまだまだ衰えてないことが伺えた。そして、彼が衰えてないことは、映画そのものからもしっかりと伝わった。冒頭からエンドロールに至るまで、これでもかと発揮される彼のエンターテイナーとしての才能に、俺はひたすらひれ伏していた。まずこの作品はエンタメとして最高の傑作であることを事前に述べておきたい。ただ、拙いながらに映画を分析してみると、なかなかに歪な構造があったりもした。興奮と知恵熱が辞めきらぬ間に、なんとか文章にしてみたいと思う。

※ネタバレ満載なので注意してください。

 

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【歌詞和訳】Mam'selle

 Mam'selleとは馴染みの薄い語ですが、調べてみたところ、フランス語で「お嬢さん」とかを意味するmademoiselleの短縮形っぽいです。訳では「お嬢さん」とする案も会ったのですが、それだと何か微妙になったので、そのまま「マムゼル」としました。

 おいらのうんこな訳だとどれだけ伝わるかわかりませんが、すごくロマンティックで美しい歌詞です。特に"Your lovely eyes seemed to sparkle just like wine does"のとこなんか、本当にため息が出そうです。wine doesのdoesは前のsparkleを受けてるので、ぶどう酒がsparkleするように君の瞳がsparkleしてるって言ってるのですが、ここが巧みなところで、瞳がsparkleのときは煌めくって意味で、ぶどう酒のsparkleのときは泡立つとかそういう意味なんですよね。こういうのは訳だと死ぬところなんですが、そういうとこにこそ詩の真髄はあるんでしょうね。

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【歌詞和訳】Got a Date With an Angel

 世紀の名盤" Four Freshmen And 5 Trumpets "から、ごきげんなナンバーを訳してみました。とびっきりの美人とデートの約束をして昇天しそうな男の歌です。隅から隅まで脳天気な歌ですが、ヨハネの黙示録に出てくる真珠の門みたいな術語がさりげなく使われてたりで、極東の人間からするとそこら辺のバランスが面白いっすね。向こうの人はまあみんな日曜に教会に行ったりしてるから、こういうのも普通にわかるんスかね。

 

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