ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

『レディ・プレイヤー1』のネタバレ感想

 4月14日金曜日、俺は命懸けて定時ダッシュをして、電車を乗り継ぎ、劇場に向かった。IMAX 3Dのドでかいスクリーンで、公開初日にスティーヴン・スピルバーグの『レディ・プレイヤー1』を観るためだ。金曜夜という微妙な日時だったが、客席はかなり埋まっていて、スピルバーグの威光はまだまだ衰えてないことが伺えた。そして、彼が衰えてないことは、映画そのものからもしっかりと伝わった。冒頭からエンドロールに至るまで、これでもかと発揮される彼のエンターテイナーとしての才能に、俺はひたすらひれ伏していた。まずこの作品はエンタメとして最高の傑作であることを事前に述べておきたい。ただ、拙いながらに映画を分析してみると、なかなかに歪な構造があったりもした。興奮と知恵熱が辞めきらぬ間に、なんとか文章にしてみたいと思う。

※ネタバレ満載なので注意してください。

 

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オタクの夢の祭典

 まずはこの映画を称賛しなければならない。一オタクとして、褒めちぎらなければならない。この映画が最高なことは冒頭から分かる。冴えないナードがガラクタばかりの町を抜け、スクラップされた自動車の廃棄場所に潜り込む。とあるボロい廃車が彼の城だ。そこでVRゴーグルを装着すると、途端に夢の世界が目の前に広がる。ベタだよ。たしかにすんごいベタだ。でも、天才巨匠が本気でベタをやると、とんでもないものが生まれるのは皆さんご承知でしょう。これは全編信頼できる映画だなって一瞬で分かる。
 散々各所で言われてるけど、映画内に散りばめられたパロディはどれも最高だ。個人的に琴線に触れたものをとにかく書いていくと、まずエイチのアジトにアイアン・ジャイアントやら色んな宇宙船やらがスラッと並んでて最高だったのだが、その中にピンぼけしてる赤いシャープな機体があったんだけど、あれってビバップソードフィッシュIIってことでOK? 主人公とヒロインがたらたら話すだけのシーンだったけど、あれがあっただけでもう最高のシーンだった。それと、ダンスクラブで男女が空中に浮いて睦み合って踊るシーンがあるんだけど、あれって『さよならジュピター』の無重力セックスのオマージュじゃない? え、違う? あと、クラブでの銃撃戦でヒロインのアルテミスが『エイリアン2』のパルスライフルで敵をばかばか撃ち殺してたの最高だった。
 でも、なんつってもですね、クライマックスですよ。主人公と、膨大な数のその同志に押されて絶体絶命の敵のボスがですね、状況を打破するために、とっておきの秘密兵器を出すんですよ。何かって言うと、まあ監督が事前にバラしてるからあれなんですけど、メカゴジラですよ!! ねえ!! スピルバーグ映画にメカゴジラですよ!! 実を言うと、自分はこの映画、メカゴジラが出るっていう決定的な情報を得たからわざわざ初日に観に行ったんですけど、IMAX 3Dの超大迫力画面で活躍するメカゴジラには本当に感涙モノでした。原作の3式機龍じゃなかったのはほんの少しだけ残念ですが、その代わり、スピルバーグのオタク魂が極限まで込められた最高のオリジナルメカゴジラになってます。機龍やVSメカゴジラよりも遥かに禍々しくメカメカしくて、自分はもうひと目で惚れ込みました。巨大な尻尾でデロリアンをぶっ飛ばし、青い放射熱線でアイアン・ジャイアントに大ダメージを与える。これだけでも最高なのに、旦那、フィンガーミサイルですよ!! フィンガーミサイル!!! 嘘じゃありません!! ハリウッドの、あのスピルバーグの大メジャー作品で、ぼくらのメカゴジラがフィンガーミサイルをぶっ放すんです!! 分かりますか!? これを観たときは本当に興奮しすぎて俺のミサイルもぶっ放されそうでした。フィンガーミサイル然り、デザイン然り、ベースになってるのは昭和シリーズのメカゴジラかなあと思ったのだが、ネットの海をあさっていると、かの生頼範義御大が『ゴジラVSメカゴジラ』のポスターに描いた「あの」メカゴジラが基になってるんじゃないかという仮説に出会った。えっと、どれどれ。

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マジやんけ!!! 間違いありません。劇場でわたしが観たのは紛れもなく「この」メカゴジラです。多くの特撮ファンが魅了され、ひと目銀幕で見たいと願い、ついにはオリジナルフィギュアまで造られた「あの」メカゴジラが、とうとう、スピルバーグの手によって、我々の前に現れたのです!! 満点です。満点以外ありません。
 さらに輪をかけて最高なのが、メカゴジラの登場シーンで、我らが伊福部昭ゴジラのテーマがガッツリとかかるんです!! そう、エメゴジでもギャレゴジでも、とうとう使われることのなかったあの名曲が、スピルバーグの大メジャー作品で、クライマックスの一番おいしいところで大々的にフィーチャーされ、世界中の観客のもとに届けられることになったのである。そして、エンドロールにて、”GODZILLA MAIN THEME / written by Akira Ifukube”のクレジットを観たときには、本気で泣いてしまいました。あのスピルバーグが、全世界に、伊福部昭を啓蒙してくれた。こんな感動はありません。感謝しかありません。

 

リアルじゃないからフェイク?

 ただこの映画、一点の瑕もない完璧な作品かと言うと、決してそうではない。最後の最後、いざ大団円というところで、映画をひっくり返すようなことをしてくれているのである。それまで映画ではほぼ徹底して、仮想世界の魅力を存分に描き出していた。それが最後になって、非常に唐突に、でも「オアシス」は現実じゃない、リアルは現実にしかないと言って、いきなりちゃぶ台返しをかましてくれるのだ。つまりですね、スピルバーグの兄貴は、結局はVRを現実と虚構の二項対立としか捉えられて無くて、そんで結局は前者が大事だよね、という、何十年前も前から繰り返されている紋切り型の思想を、よりによってこんな革新的な映画で展開しちゃってくれているのだ。ここで俺はブチ切れですよ。お前VR世界を描くのにミソシタも予習してないのかと。


バーチャルyoutuber ポエムコア『ミソシタ#11』革命前夜

かの名高き詩人はこう歌っていましたよ。「Realじゃないが/Fakeでもない/俺らはVirtual」と。そう、バーチャルの世界は、決して虚構とイコールではない。それは、現実とも虚構とも異なる第三の項であり、そこでしか現出し得ない「リアル」が確かにあるのだ。
 例として、劇中に出てくるショウという中国人を挙げよう。こいつは「オアシス」の中ではむちゃくちゃ強いのだ。クライマックスで、ドでかい手裏剣もどきをぶん投げて、最凶の敵の腕をぶっ千切ったりする、最強の戦士なのだ。そう、ショウは強い。少なくとも、「オアシス」では彼はメチャクチャ腕っぷしが強いのだ。でも、現実のショウは11歳の子どもだ。確かに知能は高いかもしれないが、でも、強くはない。たぶん同年代と喧嘩してもすぐ負ける。ましてや大人とタイマンなんて出来っこない。そう、現実ではショウは弱いだろう。じゃあ、彼の「オアシス」での強さは嘘なのか? そんなことはない。きっと、彼の中には間違いなく、「強さ」や「力」の資質が、可能性が秘められている。それは、彼が現実で与えられた肉体的条件のもとでは、決して顕在化することはない。でも、「オアシス」の中で、ひとたびその現実の鎖から解き放たれると、そこに隠されていた彼の資質が、可能性が開花するのである。確かに開花している場所は、現実ではないかもしれない。でも、その強さは、現実ではなくても、確かに「リアル」なのだ。この映画自体は、たしかにそういうことを描けていた。なのに終盤で監督本人が出てきて、それをひっくり返すだなんて、あんまり無粋だよ旦那。

 

現実対「虚構」

 ということで、この映画は大傑作なのだけれど、でも、構造的に大きな矛盾を孕んでいる。監督のスピルバーグ自身は、結局の所VRについて、素晴らしいものだけれど、でもやっぱりリアルは現実にしかないから、現実を大事にしようね、という錆びついたお説教をかましている。でも、その彼が創り出した映画自体は、決してそんなことは言っていない。人種も性別も超え、国も版権の壁も超えて、俺達の抱くあらゆる夢がVRの中で実現する姿を、力強く描き出しているのである。つまり、創造者であるスピルバーグと、彼の被造物である『レディ・プレイヤー1』は対立してるのだ。そして、軍配は後者に上がっているように、自分には思えた。現実に対する「虚構」の勝利なのである。そういう歪さ、矛盾も含めて、こいつは第一級の傑作である。できればもう五回くらい、IMAX 3Dで堪能しておきたいなあ。

 

 

  

  

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