ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

太白図書館にまつわる自分語り

 勉強をする時、俺はとにかくテキストを音読する。英語でも現文でも世界史でも何でもそうだ。口に出して読まないと、きちっと血肉になってはくれない。だが、残念なことに予備校の自習室は音読禁止だった。一度こっそり小さな声でボソボソと音読したことがあるが、横に座っていたガタイのいいあんちゃんにジロリと睨まれた。これは困った。俺は家の机だと集中できない。ファミレスやカフェは勉強禁止のとこばかり。図書館も音読禁止。さてどうしようかと思って、ひとつ思い当たった。たいはっくるの地下の吹き抜けはどうだろう。
 たいはっくるは長町駅のすぐ近くにある複合文化施設だ。地下一階から五六階までは公共施設や色んな店舗が入っていて、そこから上は全部マンションになっている。目の前は駅だし、すぐ近くにはザ・モールや役所がある。最高の立地だった。もし大人になってまだ宮城に住んでいて、それなりに稼げるようになってたら、ここに住みたいなと思っていた。そしたら、いつだってすぐ太白図書館に行けるから。
 太白図書館はたいはっくるの一階と地下一階にある。一階は書籍と雑誌で、地下はAVコーナー。一階と地下を繋ぐ階段は、とても大きく重厚で、一歩一歩降りるたびに、静かな高まりを感じたものだ。そこの地下で俺は、いわゆる文芸映画、芸術映画と言われるものに初めて触れた。端緒はタルコフスキーの『惑星ソラリス』だった。インターネットや映画雑誌などで『2001年宇宙の旅』と並んで讃えられる傑作SF。小学生の頃から、子供用にリライトされたアシモフやヴェルヌやE・E・スミスを好んで読んでいた自分にとって、それは新しい次元の作品のように思えた。これを観れば、自分は一つ高い段階に進めるのではないかと思った。あの地下の灰色の広い空間で、ソラリスの大きな正方形のLDケースを手にとった時、そう感じたことをよく覚えている。
 果たして、それは事実だった。
 よく分からない。というか、全く分からないというのが最初の感想だったが、図書館からの家路の中で、俺の脳裏にあの映画の幾つもの画面が万華鏡のように浮かんでは消え、そしてまた無数に浮かんできた。東京の高速道路、ソラリスの基地の暗い通路、人ならぬ妻の人並み外れた美しさ、特に自死から甦る際のあの妖艶さ、空に浮かぶ卓子、燭台、バッハの調べ。これが芸術というものなのかと、若い自分は滾った。家に帰ってPCをつけて、タルコフスキーについて調べた。今では潰れてしまったようだが、当時ある有志がタルコフスキーに関する資料を翻訳して掲載していたサイトがあり、そこでこの不世出の監督の言葉に多く触れることが出来た。彼の理念、芸術観、そして彼の尊敬する芸術家について。彼はベルイマンというスウェーデンの映画監督を特に讃えていた(ように自分には思えた)。特に、『冬の光』という作品を。調べてみると、これも太白図書館にあった。これが、俺にとって決定的だった。この作品で描かれている神の沈黙を巡る苦悶に、俺は心から共感した。クリスチャンホームに生まれ、神を信じたいと思いながらも、寸でのところでそこにコミットし切れなかった自分にとって、この作品の主人公の逡巡は、他人のものとは思えなかった。そして、終盤近くの、イングリット・チューリンの祈りの美しさ! こんな映画を死ぬほど観たい、浴びるほど観たいと思いながら、地下の出口から外に出た日のことを、俺は決して忘れないだろう。
 たいはっくるの地下の出口を抜けると、そこは一階まで吹き抜けになっている。中央に公共のスペースがあって、そこをぐるりと囲むように、三方に図書館と様々な店舗の入り口、そして真正面に階段があった。公共スペースの中央には幾つか机と椅子があったが、大体は空いていた。俺はその一つを占有して、そこで存分に音読した。色んな人が行き交い、話し、子供がはしゃいで叫んだりするその空間では、俺の声など心地よい雑音の網目の一本の糸に過ぎず、誰の気を引くこともなかった。そこは絶好の場所だった。多少の雑音があった方が勉強は身が入るものだし、疲れたら図書館に入って本を読んで気晴らしをすることが出来た。
 太白図書館の書架には魅力的な本しかなかった。そこでは何を読んだだろうか。余りに読み過ぎて、よく分からなくなっている。そうだ、プラトンの『プロタゴラス』を初めて読んだのはここだった。稀代のソフィストを皮肉たっぷりに描くプラトンの筆致は極めてユーモラスで、しかし極めて澄み渡っていた。それに通じる精神を強く感じたのが、田川建三の『宗教とは何か』の上下巻だった。新約学者、と括るにはあまりに巨大で特異なこの人物は、まるであらゆる権威を憎悪しコケにしているように感じられ、なのにその罵詈雑言は知性とユーモアに満ち満ちており、読んでいて快楽しか感じない。他人の誤訳をあげつらい、時に恩人にすら牙をむく彼はまるで獣のようだったが、人はもしかしたら、そのような自らの獣性に、原始性に自覚的であった方が、むしろ創造的なのかもしれない。そう思ったのは、エリアーデの『世界宗教史』を読んでいたからだろうか。この巨匠は原始文明と東洋の思想のみで構成された形而上学史を紡いでみたいといった旨のことを述べていたらしいが、この未完の大著を読むと、彼が本気でその野心に取り組んでいたことが分かった。従来の西洋の哲学史においてごっそりと抜け落ちていた原始・東洋の文明のうちに、古代以降の西洋のそれに匹敵する確たる超越=真理への意志が存在していたことが、この上なく明晰に記されている。そして、その論述が放つ光に照らされると、西洋の精神史はまったく新しい顔を呈する。そう、過去なのに新しいのだ。ここに歴史を探求する醍醐味があるのだろう。これと同じ興奮を味わったのが、シュテファン・ツヴァイクの『人類の星の時間』である。既に『ジョセフ・フーシェ』を読んでこの作家に魅了されてはいたが、この一冊をもって彼に対する信奉はいよいよ揺るぎないものとなった。人類の星の時間。我々の歴史においてひときわ輝く歴史的な瞬間を、彼はこのように表現した。人類の星の時間。それは当時の俺にとっても、星のように美しい、眼に甘いものと思われた。しかし、今になって気付くのだ。当たり前だが、その星の時間はすべて過去のものであると。そう、大人になると、過去だけが星のように煌々と輝き、でもその輝きは、今と未来を照らせるほどに強いものではないのだと。
 だから、俺は未だに『昨日の世界』を読めていない。
 たいはっくるの地下一階の、あの広々とした空間で一人勉強していたころの俺は、受験生特有の飢餓と不安に襲われてはいたが、それでも、今に満足し、未来に希望を抱いていた。それが若さというものなのだろう。太白図書館で出会った数多くの美しい文化を燃料に、俺は精一杯夢を燃やし、それを駆動力にして前に進んだ。進み続けた。だが、そのようにして駆け抜けた先は茫漠たる暗闇であり、砂漠であった。今ではようやくその荒野を生きるための術を学びつつある。だがそれは、未来に背を向け、美しかった過去を振り返り、それを愛でることと不可分であった。そう、かつては未来へと向かう燃料だったものが、今では単なる慰み物にまで貶められてしまったのだ。その元凶は俺の無力だ。俺の無力と不覚と不運だ。でも、美しい過去は、それすらも許容してくれるように感じる。それが、今の俺には何よりも恐ろしい。
 予備校と図書館の間には橋があり、図書館と家の間にも橋があった。夜、それらの橋を通るとき、はるか向こうに立ち並ぶ建物や工場の放つ光が、時折、とても美しく思われることがあった。あの日受け取った美を、今の俺はどうすることも出来ず、ただ持て余している。これをいつか、何かのために活かすことが出来るだろうか。もしそんなことが出来たなら、俺の人生にも、ささやかな星の時間が生まれるのではないだろうか。そんなことを考えながらも、俺はただ、同じ場所で足踏みするばかりだ。