ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

【歌詞和訳】Yellow Magic Orchestra / CITIZENS OF SCIENCE

 YMOの大傑作アルバム『増殖』に収められた一曲。イカした曲作ってんじゃねえかよお、お前らよお。作詞は初期YMOの言語世界を支えた詩人クリス・モスデル。この歌詞がですねえ、むちゃくちゃ難しかった。とりあえず日本語に置き換えたはいいものの、何を言ってんのか全然わかんないの。たぶんまあ現代社会とか科学文明に対するある種の批評なんだろうなあとは思うのだけれど、そう装ったナンセンス詩かもしれないし、考えれば考えるほどドツボにはまるんすよ。もしかしたら、それが狙いなのかもしれん。こわいこわい。

 歌詞の途中のカギカッコでくくってるところは、実際にクリス・モスデル御本人が歌って(?)らっしゃいます。たぶん、後にも先にもこれっきり。なかなか尖ったいい声してらっしゃいます。

 とまあ、いろいろと書きたいことは山ほどあるのですが、残念ながらこの曲の話はここらで打ち止めです。マンションの一室に麻薬現行犯が潜伏しているという連絡が入ったので、これから逮捕に向かうのです。よーしここだな。警察だ!!!!!!麻薬現行犯で逮捕する!!!!!!!!!!!!!!!!!開けろ!!!!!!!!!!!!!!

 ――あ、だだだ、だぁれぇ~?

 

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【歌詞和訳】Jody Watley / Your Love Keeps Working On Me

 こないだ定食屋で飯食ってたらFMでメチャクチャ最高な曲が流れてきて、なんじゃこりゃと思って急いで調べたのがこの曲です。一途で熱くてそこはかとなくエロティック。いかにも90sなサウンドが、いま聞くとすごく新鮮ですね。

 歌詞は結構意訳してます。"I don't know what you do to me" はそのまま訳したらまあそのままなんですが、「どんな魔法を使ったの?」みたいな感じで訳してみました。意味合いはおんなじ、のはず。あと、”work on” は「~に有効である、影響する、効果を発揮する」みたいな感じらしいので、自分に有効である、効果を発揮するってので、もうちっと意味を汲み取って、~があるから自分は頑張れるー、みたいに訳してみました。

 

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【歌詞和訳】Yellow Magic Orchestra / SIMOON

 Yellow Magic Orchestraがデビュー・アルバム「Yellow Magic Orchestra」を世に出したのが、いまから40年前の1978年のことでした。そこに収められた作品群は、誇張でも何でもなく、未だに未来の音たり得ています。きっと今から100年後も、これらの楽曲はリスナーに未来を届け続けるのでしょう。

 今回はこの「Yellow Magic Orchestra」の中から、大好きなSIMOONを訳してみました。細野晴臣すっきゃねん。これに先立つ南洋三部作や、高橋幸宏の「サラヴァ!」に収められたMood Indigoなどで積み重ねてきたものが、うつくしく結晶したような楽曲だと思います。そして、そんな楽曲に捧げられたChris Mosdellの歌詞がまた素晴らしいんスよ。ここで一応日本語にしてはみましたが、ぜひ皆さん、英語辞典を引きながら原詩を味わってみてくだせえ。

 

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【歌詞和訳】Patti LaBelle / If You Asked Me To(『007 消されたライセンス』EDテーマ)

 1989年公開の映画『007 消されたライセンス』は、シリーズでもかなり異色の作品でした。ボンドの親友であるフェリックス・ライターが麻薬王に襲撃され、彼の花嫁が殺され、フェリックス自身も大怪我を負う。ボンドはMI6からの指令でなく、自身の意志で彼の復讐を目論む、という内容で、はっきりいってかなり陰惨です。007ではグロ表現とかはあんまり使われてないのですが、この映画では人間の頭が破裂したりなんだりと、かなりエグいシーンをバンバン使っています。映画としてはそれなりに面白くて好きなんですけど、他の007作品と違って、観てると気分が落ち込んでしまうんですよね。でも、最後の最後に復讐を果たし、映画がハッピーエンドを迎えた後、この美しい歌が流れるんです。それですべて許せちゃうのねん。

 一途に相手を思いつづける美しい歌詞と、甘い旋律、そしてもっと甘いパティ・ラベルの歌声に、聴いてるこっちはもうとろけっぱなしです。一見、単なる惚気みたいな歌詞ですが、ウィキペディアによると、この曲のMVの撮影前に、パティ・ラベルのお姉さんが亡くなってるらしいんですね。それで、MVではパティ・ラベルが黒い服に身を包み、沈痛な面持ちで「あなたが頼んでくれたら、自分は何だってする」と訴えてるんですよね。それを踏まえた上で歌詞を読み返すと、本当に痛切な歌だなあと実感させられます。

 ちなみにこの曲、パティ・ラベルのバージョンもそれなりにヒットしたのですが、後年セリーヌ・ディオンがカバーしたバージョンが大ヒットしたそうです。今回調べるまで知らんかった。セリーヌ・ディオンつったらあれでしょ、エディオンのCMに出てた人でしょ。俺が大学生の時、友だちの家に四人集まって夜通しジンギスカンを喰う会をしてたのですが、みんなで肉くいながらテレビを見てたら、いきなりセリーヌ・ディオンが歌いだして、なんじゃこれはと場が騒然としたのを今でも覚えています。いや、でも、セリーヌ・ディオンのバージョンもすごくいいですよ。はい。大丈夫ですよ。

 

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不眠無不眠無不眠無無

 眠れない。激務とストレスにより眠れない。最近は睡眠不足が続くと心臓がキューッと締まるような痛みが一瞬発生したりする。不整脈だろうか。そのうち致死性不整脈やら心不全やらでぽっくり死ねるんだろうか。早いとこ死んでこんな世の中とはオサラバしたいものだが、奨学金の返済がまだ残っている。俺は機関保証に入ってるので、学生支援機構の奨学金の場合、当人が死んだ場合書類かなんか書けば家族の返済は不要のはずだが、汚い大人はどんな手管を駆使して遺族を追い詰めるかわからない。自分の負債だけはすべて返しきってから死にたいものだ。貯金のペースや今後のキャリアパスを考慮すれば、あと四五年で完済できるはず。そしたら、とりあえずは自由だ。父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。

 

 何かで読んだのだが、ブラックホールに吸い込まれそうになると、吸い込まれる当人の時間感覚が無限に引き伸ばされるため、当人はいつまで経っても吸い込まれることを知覚出来ないのだとか。もしも、死がそのようなものだったらどうしようかと時おり考える。はやく無に帰りたいのだが、当人の感覚として無が無限に遅延され、いつまで経っても到来することがない。まるで、終末を信じては裏切られてきた原始キリスト教団みたいだ。いつまで経っても終わりが来ない。それにどう理屈をつけるか。パウロがその課題を頑張っちゃったものだから、あのカルト宗教は世界を制してしまった。何の話だっけ。まあ、なんでもいいや。

 

 さいきん、時間感覚がだいぶ加速している気がする。もう今年も五月だ。五月ももうすぐ半ば、気づけば六月になり、今年も折り返し地点に差し掛かる。去年の頭のことを思い出す。当時はけもフレが一大ブームを巻き起こし、オタク全員がサーかばの冒険を固唾をのんで見守っていた。俺もそうだった。業務が爆発してチーム全員で会社に泊まり込んでいる時、ちょうどけもフレの最終回が放送され、ツイッターのトレンドにかばんちゃんの手の先が黒いってことが入って観てない俺はなんじゃそらと思ったのをよく覚えている。ちょうどその頃、このちんけなブログに『空になる青』に関する感想を書いたところ、作者当人の知り合いという方がコメントを書いてくださった。それからまた、ちょうど同じ時期、ネットの一部のオタクの間ではケツピンが凄まじい旋風を巻き起こしていた。俺も毎話毎話楽しみにしていた。そこいらの底辺地上波よりも、よっぽど影響が大きかった。
 そして、今年になった。けもフレは最大の功労者たるたつき監督の降板騒動により完全に瓦解し、いまでは見る影もない。たつき監督本人の活躍の場が失われていないことが救出が、けもフレという、百年続くはずのIPがたった半年ほどで植物状態に陥ってしまったのは、本当にむごいとしか言いようがない。けもフレが実体のない企業コラボで辛うじて食いつなぐ一方で、去年けもフレと比較されてさんざん馬鹿にされていたウマ娘が良作として評価されているのをみると、なんとも言えない感情が湧いてくる。でもまあ、けもフレはまだマシな方だ。ケツピンに至ってはクソ運営によって全削除の憂き目にあった。これだけは一生許さねえぞ川上聞いてるか。
 そして、秋山晟先生の新作を、俺達は未だに拝めぬままだ。
 今年になってバーチューバーが一大センセーションを巻き起こしている。猫も杓子もバーチューバー。俺もお前もバーチューバー。のらのらしてきた。まったくも。でも、このブームも永遠に続くわけではないだろう。月ノ美兎がいつかの配信で、十年後、そういえば月ノ美兎っていたなあと思いだしてくれれば満足だ、みたいなことを言っていた。そう、みんな分かっているのだ。このブームを担っているバーチューバーたち、特に個人勢は、おそらく、2000年くらいからのインターネットにおけるめまぐるしい文化の興亡を見てきた連中なのだ。一時期あれだけの覇権を握ったエロゲー文化も、いまではもう型月以外は死に体だ。KanonAirも、もう墓碑になっている。シスプリを君は忘れていないか? 先行者って聞いたことあるか? 絶望の世界はいま誰が読む? ネカマ裁判に新規読者がつくことは、もう、きっとない。エキサイト、グー、インフォシーク。すべてはもう、過去の遺物だ。
 今これだけの熱を放っているものも、いつかは冷めて、死んでしまう。宇宙の熱的死はきっと真理だ。俺たちはインターネットで、同じものをずっと見てきた。きっとこのバーチューバーブームも、そう遠くない内に、熱的死を迎え、単なる過去になるだろう。別のことで同じくらい熱狂できることはあるだろうが、これにこれだけ熱狂できるのは、きっと、いまだけなのだ。そして、それを当人たちもきっと分かっている。だからこそ、これほどまでに、彼等彼女らは行き急ぐように駆け抜けているのだ。その先が虚無であると知っていても。

 

 なぜ何も無いのではなく、何かが在るのか。これが哲学の根本的な問だと、確かハイデガーだかが言っていた。シオランのような厭世主義者も、まったく同じ問を立てるだろう。しかし、両者の意味するところは全く違う。そして、そのどちらに与するかで、人間はきっとはっきり二分されるのだ。

 

 今も昔も、家にこもってネットばっかりしている。そうやって生きている。本当にネットばっかりしていたこともあるが、いまでは余暇にネットばっかりしている。機械の前に座って、何も話さず、何時間も何時間も独りで過ごしている。なのに、目の前の画面では何もかもが急激に変化し、凄まじい勢いで古いものが死に新しいものが生まれる。
 自分はネット中毒で、そして記憶中毒だ。どちらも現実に確固として存在するものではない。現実と無、あるいは現実と虚構のあいまに存在するものだ。自分はきっと無になりたい。でも、現実しか知らないから、現実を失うのがきっと恐い。だから、そんな曖昧なものばかりに惹かれるのかもしれない。
 大きなお世話だよバカヤロー。

 

 せめて両親を送るまで、自殺せずに生きれるだろうか。今の調子ならまあ何とかなりそうだけど、でも、人生にどんな落とし穴があるか、本当にわからないのだ。
 これまで何度もどん底を経験してきた。おかげでずいぶんタフになったかもしれない。でも、同時に、人生の苦難には本当に限りがないことも知っている。どんなに順調に行っていると思っても、どこで突き落とされるかわからない。

 

エロゲー文化研究概論』なんかを夜中に読んだものだから、ずいぶんとセンチメンタルになってしまった。思春期の頃、Kanonの二次創作小説を死ぬほど読みまくったことが、自分にとって少なからぬ文化的影響を与えている気がする。そして、結局、二次創作ばかりに耽溺し、Kanonそのものをプレイすることはなかった。きっと、今後もそうだろう。自分は創作物そのものよりも、そこから発生した二次創作や批評に惹かれるフシがあるが、その起源はやっぱり、そこにあるのだろうかね。

 

 バーチューバーブームに既視感があったのだが、あれだな、むかしVIPで流行った「新ジャンル」だ。「素直ヒート」、「素直クール」、「ツンデロ」、「ゴムフェラ」、エトセトラ。

 

 どんなに過去を懐かしんでも、明日は容赦なくやってくる。明日は労働。明後日も労働。労働労働労働だ。だからみんな死んでしまえばいいのに。

 

 絵師、ホームページが死滅して、みんなピクシブに統合された。喜ぶべきか、悲しむべきか。上下ミラクル荘が好きでした。もう消えてしまったけんども。

 

 明日休みになんねえかなあ。

【歌詞和訳】Hoagy Carmichael & Mitchell Parish / Stardust

 初めてこの曲に触れたのは、中学生くらいの頃でしょうか。当時、夕方にやっていたミュージックフェアで、過去のお宝映像特集みたいのをやっていて、その中で、かの美空ひばりがこの曲を歌っているのが流れたんですね。それでいっぺんにこの曲に引き込まれてしまいました。数え切れないほどのアーティストがこの曲を演奏していますが、未だに自分にとってのベスト・アンド・ブライテスト美空ひばりのバージョンですね。次席はと言うと、まあ、最後で分かります。
 作曲は皆様おなじみホーギー・カーマイケル。作詞はミッチェル・パリッシュで、この二人がタッグを組んで作った歌は結構多いみたいです。このブログでは以前にこのコンビの曲として”Deep Purple”を紹介しています。それで、このふたつの歌詞を比べてほしいんですけど、これ、全く同じ状況を歌った曲なんですよね。時刻は真夜中、失恋した男が庭に出て物思いにふけっていると、ふいに記憶の中から愛した人が現れて、あたかも愛が復活したように感じる。でも、それもすぐにかき消えてしまう。そういう、まったく同じシチュエーションをうたっています。また、両方の歌詞に”garden wall”、「庭の壁」という単語が使われているのも特徴的ですね。ラブソングでこの単語が使われるのって非常に稀だと思うので、まさしくパリッシュ印みたいなものなのでしょう。シチュエーションや単語の観点から見て、これはもしかしたら、パリッシュ自身の体験や記憶に基づいてるんじゃないかしらと勘ぐりたくもなってきます。このひとについて、もちっと調べたくなってきました。
 さて、そんな名曲ですが、日本のお年をめした方にとっては、非常に懐かしい、ポピュラーな曲なんじゃないかと思います。なんてったって、あの伝説の番組「シャボン玉ホリデー」のエンディングテーマとして使われてたんですよね。ザ・ピーナッツクレージーキャッツ、ダークダックスなど、素晴らしい才能を持った面々が画面を賑わせていたあの番組は、今みてもまばゆい光を放っています。戦後間もなくにあんなものが作れたのに、いまは何でこうなってしまったんすかねえ。まあいいや。シャボン玉ルルルルルルルシャボン玉ララララララララろーまーーーーーーんちっくなゆーめねっまるーーいすってきなゆーーーめねっりずむにのせーーてはこんでくるのねほーーーりでーーーーーーほーりーでーーーーしゃーーーぼーーんだーーーまーーーーーーしゃーーーぼんーーーーだーーーまーーーーほーーーりでーーーーーーーーー。

 

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【歌詞和訳】Antônio Carlos Jobim / Forever Green

 アントニオ・カルロス・ジョビンの遺作である「アントニオ・ブラジレイロ」に収録された一曲。なんでも、1992年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された「環境と開発に関する国際連合会議」のために書き下ろされた楽曲なんだとか。国際サミットのテーマソングで、環境保全を訴える内容。日本に住まう我々としては、こうやって字に起こしただけで嫌な予感がしますよね。この手の作品に何度もひどい目にあわされている我々としては、どうせ糞みたいな曲だろうと危機感を抱くのは当然でしょうね。そして試しに聴いてみて、ありえないくらい号泣するんですよ。こらまいりましたねえ。

 戦前のブラジルに生まれ、彼の地の目を焼くような鮮やかな緑に親しんでいたジョビンが早くから環境問題に深い関心を抱いたのは、当然のことだったのかもしれません。彼は前々から自身のエコロジー思想を楽曲として昇華させていましたが、死を数年後に控えた年に、まさしくその集大成として、この曲を作ったのでしょう。六十代とは思えない若々しいその歌声を彩るのは、彼の家族によって結成されたバンダ・ノヴァ、そして、孫ほどに年の離れた愛娘のルイーザ。

 この曲が何故作られたのか、この曲は誰に当てて作られたのか。俺みたいな阿呆でも、一度聴けば分かります。これは、愛するルイーザのために作られた楽曲に違いありません。自分の愛するひとのために、自分の愛した自然を残したい。その思いが本物だからこそ、お着せのプロパガンダソングとは次元を異にした、真の傑作が生まれたのでしょう。そら泣きますよ。とんでもない傑作ですよ。後世に語り継ぐべき名曲ですよ。もしも環境破壊が進み、人が地上から絶えてしまったら、この曲も消えてしまう。ならば絶対に環境破壊はやめよう、なんて、そんな論法をぶっぱなしたくなるほどの曲です。

 

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