ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

ΜΑΚΑΡΙΟΙΟΙΠΤΩΧΟΙΤΩΠΝΕΥΜΑΤΙ

 ちいさいころはかみさまがいて。
 むかし、神谷美恵子に傾倒していた。どこでその名前を知ったのかは今では覚えていない。もしかしたら、松岡正剛の千夜千冊あたりで存在を知ったのかもしれない。ただ、深くはまり込むきっかけになったのは、今は亡き旧名取市図書館で『うつわの歌』に出会ったことだろう。彼女が訳したジブラーンの「予言者」は、それからしばらく、自分にとっての道標となった。バイト帰りに某図書館で「宗教について」を読んで、ひとりボロボロ泣いてしまうくらいには、自分はその本に没入していた。それくらい、当時の自分は、よく言えば純粋だった。
 それから、彼女の本をいろいろと読んだ。『こころの旅』、『生きがいについて』、『遍歴』などなど。特に彼女の自伝である『遍歴』は魅力的だった。華やかな来歴、しなやかな思考、強い意志、うつくしい文体。このように生きたいと、こんな人間になりたいと、無邪気にそう願っていた。
 あれから幾とせが経っただろう。本棚に唯一残っている『遍歴』を読み返してみたが、二三頁で限界だった。彼女の魂がうつくしくいられたのは、彼女の教養が豊かでいられたのは、結局、実家が太いからじゃねえかという感想を抱いてしまうのだ。当時の日本のトップカーストに生まれ、1920年台にスイスはジュネーブで学び、コロンビアで古典を修め、それから精神医学に転ずる。結局、彼女を育んだものは、経済的な豊かさに裏打ちされた文化資本ではないかと、そう思ってしまうのだ。そんな彼女が、こころの豊かさを説いたとしても、いまの自分にはなんの説得力もない。結局、豊かな人間はこころも豊かになるという、ただそれだけの話しではないのか。

 努力に努力を重ね、幾多の挫折を経て、ようやく何とか人並みの生活を確保するに至った。その過程で幾度も直面した現実として、人間の生は出自に制限されるというものがある。自由や平等なんて嘘だ。結局、自分のような育ちの悪い人間は、最初から足かせを付けた上でレースに出るしかない。でも、足かせのない人間は決してそれを認めようとしない。だから、世界ではそれはないとされている。だから、俺にもないと思っていた。
 神谷美恵子に耽溺していられたその頃、俺はとてつもなく貧しくて、でも、こころはどこまでも豊かだった。彼女のようになれば、彼女のように努力すれば、自分もあのように高貴な生き方が出来るものだと素直に信じていた。彼岸と此岸の間には架橋し得ぬ断絶があることを、自分には生まれながらの歪みと瑕があることを、当時は知らなかったから。あの頃、自分のこころはどこまでも豊かだった。己が心身の貧しさに、まだ気づかずにいられたから。

 さいわいだ、こころにおいてまずしいものらは。なぜならば、かれらのものだからだ、てんのくには。
 我らが主イエースース・クリストスは、とある山の上でそう仰られた。天国には心の貧しい連中しか入れないらしい。確かに、心の豊かな連中が一切いなければ、俺みたいなのが余計な妬み嫉みを抱く機会もなくなり、こころおだやかでいられるだろう。神は信じてないけれど、心の貧しさならば誰にも負けない。天国に行くのが楽しみだなあ。