ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

古本を売りに

 今月に入って、大学の研究で使っていた本を片っ端から売っている。県内には人文系の研究書や洋書を正当な価格で買ってくれるような古書店は存在しないっぽいので、片道一時間かけて他県まで売りに行く。旅行用のキャリーバックに本をパンパンに詰めて、ゴロゴロ転がして電車に乗って、乗り換えして乗り換えして――車窓をぼんやり眺めていると、見慣れた景色が少しずつ見慣れぬものに変わっていく。そういえば、自分はいつも本に連れられて、知らない場所に赴いている。そこだけは、昔とあまり変わらない。

 その古書店は、いわゆる閑静な住宅街にある。家とマンションと団地があって、スーパーとマクドナルドとスイミングスクールがあって、そんな場所の、とあるローソンの近くにその店はある。見た目は五階立てくらいだけど、店は二階まで。たぶんその上は倉庫とかオフィスなんだろうな。その店の扉を開けると、二胡のうつくしい旋律が聴こえた。うつくしく、心惹かれるが、しかし聴き手の集中を乱さない、そんな曲だった。いい店だなあと、そこで思った。

 この本売りたいんですけど、そう言ってカウンターに本を積む。査定が終わったら呼んでくれるということなので、それまで店内を散策することにした。一階は文学と人文書が中心で、二階は新書や文庫、社会科学や自然科学、古いレコードやマティスの複製画なんかもあった。土日でだいぶ賑わってたが、客層は壮年以上の方々が中心で、言っちゃなんだがどの人も金を持ってそうな感じだった。立地からしても、大学教員とか経営者とか文筆家とか、そういう面々なんだろう。そんな客層を反映してか、古書の価格も基本的に強気な印象を受けたが、よくよく探してみると、けっこうな掘り出し物もちらほら見つかった。一番の発見は大正義高津春繁御大の『ギリシアローマ神話辞典』で、お値段なんと500円。これは買いだなとニヤついてると、買い取り希望のお客さまーと呼ばれる声がした。

ギリシア・ローマ神話辞典

ギリシア・ローマ神話辞典

 

  先にも言った通り、売りに行った本は、大学での研究で使っていた本だ。あるものは日本の古本屋で買い、あるものはAbeBooksで買い、あるものは宮城の古書店で買い、あるものは先輩に譲ってもらった。このテーマで自分は食ってくんだと精魂込めて集めた本だった。家や図書館で繰り返し読んで、丹念にノートを取って、ああでもないこうでもないと考えて、論文の脚注に何度もその名を刻んだ。俺はこれで食ってくんだと、そう思って付き合ってきた本だった。なのに、今はこうやって、見知らぬ古書店に売りに来て、そのことに対して何の感慨も抱かないでいる。過去が本当に過去になってしまったのだと、改めて実感する。

 帰り道、一万円分重くなった懐をさすりながら、どこかで何か食べようかなあと、口元を綻ばせながら考えた。これだけいい値段を付けてくれるなら、いらない本はこの際だから全部あそこに売ってしまおうと考えた。そして、それで出来た金で、今ハマっているテーマの本を買えばいいと考えた。そう、生きていれば必然的に新しい主題が生まれてくる。幸か不幸か、いつまでも過去に拘泥してられるようには、人間は出来ていないのだろう。人が未来を向いたとき、たぶん過去は少しだけ、ほんの少しだけ手助けしてくれる。新しい主題がうまくいくか分からない。前回みたいに水の泡になるかもしれない。でもそれでいい。そのときはまた参考文献を売っぱらって、その金で肉でも喰えばいいんだ。