ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

「わたし」にまつわるエトセトラ

 会社で指摘されて気付いたのだが、自分は一人称の「わたし」を書く際に、一貫して漢字の「私」でなくひらがなの「わたし」を使っているみたいだ。そんな馬鹿なと思って自分の書いたものを読み返したら、ホンマかいな、確かにほぼ全て「わたし」だった。完全に無意識だった。それで会社帰りにどうして「わたし」なんだろうなあと考えて、自分なりに理由をでっち上げてみた。

 

 自分は基本的に、自己というものは他者にとって相容れない存在で、包み隠さない自己は他者にとって刺々しく感じるだろう、と認識している。だから他者と関わる際には、自己を巧みに梱包し、棘を隠さなきゃいけないと思っている。まあ、当たり前のことですが、その当たり前が分かんねえ奴が多くてなあ、世の中とインターネットなあ。

 

 それを勘案したうえで漢字の「私」を見てみると、なんでしょうこう、すごくトゲトゲしてるんですよね。針がこうピッピッと突き出してる感じで、何となく鋭利な印象がある。そして、自己という存在を、たった一文字で言い現している。これが私だ。これこそが私なんだと、ありのままのかたちで、遠慮なくゴロンと提示しているような印象があるんですね。これはいけない。

 

 対してひらがなの「わたし」を見てみると、実に対照的なことが分かります。中央に位置する「た」は「私」と同様、直線がつきだしているようなデザインで、これまた鋭利な印象を受ける。でも、それをつつむ「わ」と「し」は逆に、まあるい曲線が目を引くやわらかな文字です。つまりこれは、鋭利な自己をやわらかな皮で包み込んでいる構造なんですね。だから、とてもしっくり来るのかもしれない。

 

 冒頭で「わたし」ばっかり使っていると職場で指摘されたと書きましたが、だからといってそれでダメだと言われたわけではありません、念のため。みんな大体漢字なのに全部ひらがなだよねーみたいな感じでした。なのでまあ、これからもわたしは「わたし」を使い続けちゃろうと思います。あと、ありのままの自分を受け入れてほしいという想念は社会的に害悪なので死滅してほしいと思いました。おわり。