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ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

【詩和訳】ハリール・ジブラーン『狂人』より「そして、ぼくの喜びが生まれたとき」

 富めるときも病めるときもハリール・ジブラーンのThe Madmanを訳しませうのコーナーです。テキストは我らが英雄Project Gutenberg Australia*1です。今回訳したのは、'And when my Joy was born'という作品。悲しい、悲しいお話です。

 

 

And when my Joy was born


And when my Joy was born, I held it in my arms and stood on the house-top shouting, “Come ye, my neighbours, come and see, for Joy this day is born unto me. Come and behold this gladsome thing that laugheth in the sun.”

But none of my neighbours came to look upon my Joy, and great was my astonishment.

And every day for seven moons I proclaimed my Joy from the house-top--and yet no one heeded me. And my Joy and I were alone, unsought and unvisited.

Then my Joy grew pale and weary because no other heart but mine held its loveliness and no other lips kissed its lips.

Then my Joy died of isolation.

And now I only remember my dead Joy in remembering my dead Sorrow. But memory is an autumn leaf that murmurs a while in the wind and then is heard no more. 

 

そして、ぼくの喜びが生まれたとき


 そして、ぼくの喜びが生まれたとき、この腕に抱き、屋根の上に立ってこう叫んだ。「来てくれ、近所のみんな、見に来てくれ。この喜びがぼくのもとに生まれてきてくれたんだ。陽の光のなかで笑う、この悦ばしきものを見に来てくれ」

 でも、近所の誰もぼくの喜びを見に来てはくれなかった。ぼくの驚きったらなかった。

 それから七ヵ月、来る日も来る日も、ぼくは喜びのことをを屋根の上から伝えた。でも、誰も耳を傾けてはくれなかった。喜びとぼくは孤独だった。必要としてくれる人もいないし、訪れてくれる人もいなかった。

 成長した喜びは、顔色が悪く、ぼろぼろだった。他のこころがその愛らしさを抱くこともなければ、他の唇がその唇に口づけることもなかったからだ。

 そして、ぼくの喜びは孤独で死んだ。

 いま、死んだ喜びのことを想うと、悲しみのことも、決まって思い起こされる。でも、思い出は枯葉のようなもの。しばし風の中で囁くけれど、やがて、何も聞こえなくなる。

 

 

ハリール・ジブラーンの詩 (角川文庫)

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