読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

永遠のことば――志樹逸馬の詩的世界

文学

  むかし教会に通っていたとき、ごくごく内輪の会でハンセン病詩人の志樹逸馬について話す機会がありました。せっかくなので掲載します。

 志樹逸馬の詩集はこれまで二冊公刊されています。

 ・『志樹逸馬詩集』方向社、1960年。

 ・『島の四季――志樹逸馬詩集』編集工房ノア、1984年。

 ただ、前者は完全に絶版してますし、後者もそれに近い状態です。後者は一応、大阪のジュンク堂で売っていたという話を聞いたこともありますが、確かめるすべがありません。図書館や古本で探すしかないでしょうが、なかなか骨が折れると思います。

 この詩人に手っ取り早く触れたい場合は、この本を図書館で探してみてください。

 ・大岡信ほか編『ハンセン病文学全集〈第7巻〉詩2』皓星社、2004年。

 抄録ですが、かなりまとまった量の彼の詩を読むことが出来ます。

 前置きはこれくらいにして。

 

 

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

 

ヨハネによる福音書1章1節

 

 本日は、志樹逸馬という詩人を皆様に紹介したいと思います。この詩人の作品は、深い宗教的な感性からくみ出されており、わたしたちが信仰生活を歩む上で大きな支えになってくれるものと思われます。この場を借りて、皆様と共に、彼の言葉に耳を傾けたいと思います。
 まず、この詩人の生涯についてお話します。志樹逸馬は1917年に東北地方で生まれました。12/13歳のときにハンセン病と診断され、国立ハンセン病療養所の一つ多磨全生園の前身である全生病院に入院しました。その後1933年に同じ国立ハンセン病療養所である長島愛生園に移ります。そして、1959年に42歳の生涯を終えるまで、そこに留まりました。
 この詩人について語るためには、彼が患っていたハンセン病について、まず触れておく必要があるでしょう。
 ハンセン病は、らい菌(Mycobacterium leprae〔マイコバクテリウム‐レプレ〕)という細菌によって引き起こされる病気です。主な症状としては、皮膚の異常と神経疾患とが挙げられます。ここで重要なことが二つあります。第一に、この病気は他のものと比べて感染力が高い訳ではなく、また、感染しても実際に発病するのは一部に過ぎないということ。第二に、現在では治療法が確立されており、外来治療で治るということです。
 今述べましたように、らい菌の伝染力は決して強いものではありません。しかし、ハンセン病は長い間、強力な伝染病であると広く誤解されていました。そして、適切な治療がなければ、皮膚に異常をきたし、風貌が大きく変化する場合があること、また、20世紀半ばに至るまで、治療法が確立されなかったこともあり、ハンセン病患者は強烈な差別と偏見に晒されてきました。
 志樹逸馬に戻ります。ハンセン病の適切な治療法が伝えられたのは戦後でしたが、そのとき既にこの病は、彼に取り返しのつかない爪あとを残しておりました。また、彼が生きた時代、ハンセン病患者は今よりも強く差別されました。彼らは国立ハンセン病療養所に隔離され、一般社会との交流はほとんど奪われていたのです。
 当然のことながら、彼はこの病ゆえの苦悩を詩に残しています。「らい者」と題された詩の一部をお読みします。

誰が 俺に怪異の面を烙印したのだ
碧天の風を吸って 腐臭を吐き
黄金の実を喰って
膿汁の足跡を踏む
(……)
捨てられた水を呑んで生き
そそがれる光に
描くは 紫の浮腫 斑紋


 自身の病を「怪異の面」と形容し、美しい自然と対比させつつ、その症状の醜さを描いたこの詩は、彼が抱いていた苦悩の深さを如実に物語っています。このように、病の苦悩や絶望を主題とした詩も少なからず残されており、志樹逸馬という詩人の重要な側面を支えております。しかし、この詩人の真骨頂は、苦悩や絶望の内にはありません。ハンセン病患者のケアに尽力した精神科医神谷美恵子の言葉を借りれば、志樹逸馬とは何よりもまず「深い、ほんものの宗教的心情を、借りものでないことばで表現する稀有な詩人」だったのです。
 この詩人の有していた深い宗教性には、二つの背景があるように思われます。第一のものはキリスト教です。彼は1942年12月、25歳の時に洗礼を受け、生涯その信仰を守り続けました。洗礼の四年後に記された「生命」という詩からは、彼の信仰のかたちが伺えるように思います。

生命はわたしのもの
はるかに仰ぐもよし しみじみと足もとの土にまさぐるもよし
神は貧しき現実を愛したもう
暗くさびしき人は
光と暖かきいぶきとを求めて 天を仰ぐ

人 いずこよりか来たり いずこへか去る
神のみが知りたもう


 さて、キリスト教が彼の詩に深い影響を及ぼしていることは疑いえません。しかし、それに加えてもう一つ、彼の詩の持つ宗教性を生み出した背景があります。それは自然との触れ合いです。彼は長島愛生園で養鶏の仕事に携り、特に鶏の飼料にする野菜の栽培に励みました。そして彼は、植物の栽培にすっかり魅了されます。病気が悪化し、養鶏の仕事を辞した後も、彼は自分のために植物を育て、その観察にいそしんでいたそうです。どうして彼は、そこまで植物の栽培に傾倒したのでしょうか。それは、彼が植物の、ひいては自然の営みの内に、生命の真理を見出したからに他なりません。「種子」と題された詩をお読みします。

ひとにぎりの土さえあれば
生命はどこからでも芽を吹いた

かなしみの病床にも
よろこびの花畑にも
こぼれ落ちたところが故里(ふるさと)

種子は
天地の約束された言葉の中に
ただみのる

汗や疲れを懐かしがらせるものよ

黒土の汚れ
生きてさえおれば
花ひらく憧れをこそ持ってくる

 

 さて、キリスト教と自然という、志樹逸馬の二つの宗教的背景を考えるにあたって、わたしは二つの詩を引用いたしました。この二つの詩の中には、彼の世界観全体を支える重要なキーワードが出てきています。一つは「生命」、もう一つは「ことば」です。そしてもう一つ、彼の詩を考えるに当たって避けては通れないキーワードがあります。「死」です。
 彼は「死」を主題にした作品を数多く残しています。初期から晩年に至るまで、彼は一貫して、この主題をうたい続けました。まず、早い時期に記されたと思われる、無題の詩をお読みします。

俺だけが
一つの星を眺めて
深い谷底に
生きているのだ

 誰かが
 そう言って 死んで 逝った

 

 深い谷底で生きて死ぬ。このことは明らかに、一般社会から隔絶された国立ハンセン病療養所におけるハンセン病患者のあり方を表しています。輝く星は遥か遠く、自分がいるのは深く、恐らくは暗い谷底。「俺だけが」、つまりただひとりでそこに生き、そして死ぬ。生も死も、深い孤独の内に置かれています。
 このように、孤独と苦悩の影を秘めた死生観は、彼の詩の中に、時おり姿を現します。しかし、年を重ね、晩年に近づくにつれ、彼の死生観は変化してゆきました。そして、死の一年半前に記された「死について」という作品で、彼はこのようにうたっています。

人は生れた時のように死んでゆく
地上へのプラスはマイナスへの前進
よく熟れて落ちる果実は枝から離れる痛みを
知らないであろうように
人もその交代の時期をいさぎよく迎えうべきか

きょう ここに汗を流して
地の糧を吸いあげ
天の光を身にまとい
互に隣人との交流をなごやかにして
ひとしく血液の循環をよくしたいものだ

死の花びらが散るとき
おのずとうちによみがえるもの
その日だけが知っている不思議を盛る
この一瞬をいとしもう

 

 先の作品と同様に、「死について」と題されたこの詩も、生と死を主題としております。しかし、その表現も内容も、全く異なるものとなっています。ここにおいて志樹逸馬は、以前とは比べ物にならないほど、生と死とを美しく、親しげにうたいあげています。勿論、死に対する不安はこの作品にも見られます。しかし、読後、わたしたちの心には、先の作品とは異なり、光に満ちた印象が残されます。
 では、彼は晩年に至って、どのような死生観に達したのでしょうか。それを探るために、二篇の詩を取り上げたいと思います。まず、「切株」と題された作品。

わたしは松の切株の腐ったものや落葉を畑にうずめながら
その昔 緑を繁らせていたであろう日のことを思っていた

こうして土となり肥(こやし)となり
己れにかわる生命を育てるという
甘酸っぱい匂いの中にある永遠の言葉を

 

 そしてもう一つ、「人はだれでも」という詩です。

人はだれでも死んで土になる
汗を流して育てた緑の草木を食べて生きてゆく
この自然の中でわたしたちはいつもひとつだ
この交わりによって血の色はひとつとなり
ここからひとつのことばが見出される

 

 この二篇の詩を通して志樹逸馬は、自身の信仰と死生観の核心を示し、同時に、その詩作の源泉をも提示しているように思われます。それはどういうことか、お話してゆきます。
 腐った切株や落葉について考えて見ましょう。かつてはそれらも緑を繁らせていたのですが、今は枯れ、腐ってしまいました。死を迎えたのです。この切株や落葉に関して言えば、死は紛れもなく終わりです。しかし、生命の営み全体という観点から見ると、全く異なった様相を呈します。腐った切株や落葉は、やがて土や肥やしとなります。そして、その土や肥しから、新しい命が芽生えるのです。死を迎えた切株や落葉は、新しい生命の始まりに不可欠のものであり、その一部をなしているのです。
 今述べましたように、死というものは、俯瞰的な視点からすると、決して終りではありません。この地上における生命の営みは、生だけでは支えることが出来ません。死もまた、生命の営みの一部であり、生と共に、それを支えているのです。そして、彼の言葉にあるように「この自然の中でわたしたちはいつもひとつ」なのです。人も動物も植物も、その生と死すらも、絶えず新しい命を生み出す自然の営みにおいて、ひとつに結ばれているのです。
 そして、彼はそこに「ひとつのことば」を、「永遠の言葉」を見出します。絶えず新しい生命を生み出すことば。わたしたちを、わたしたちの生と死すらも、生命の大いなる営みの中でひとつに結びつけることば。このことばこそ、志樹逸馬という詩人の根源だったのではないでしょうか。
 最後に、もうひとつだけ、彼の詩をお読みして、このお話を終わりたいと思います。「夜に」という作品です。

おまえは
夜が暗いという
世界が闇だという

そこが
光の影に位置していることを知らないのか

じっと目をつむってごらん
風が どこから吹いてくるか
暖いささやきがきこえるだろう

それは
いまもこの地球の裏側で燃えている
太陽のことばだよ

おまえが永遠に眠ってしまっても
新しい光の中で
おまえのこどもは 次々に生まれ
輝いている 変らない世界に住むのだよ