ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

【歌詞和訳】Gene Kelly / I Like Myself

 1955年のミュージカル映画、「いつも上天気」(It’s Always Fair Weather)から、とびっきりのナンバーを訳してみました。この作品、天下のジーン・ケリーシド・チャリシー共演にもかかわらず、現在のところ日本では円盤が出ていません!!!! 信じられん!!!! 日本は文化後進国!!!!!!!!!!! 恥を知れ!!!!!!!!! 円盤を出せ!!!!
 さて、人類は古よりアステア派とジーン・ケリー派に分かれ、互いに血で血を洗う闘争を繰り広げて来ました。かくいう自分はフレッド・アステア原理主義者です。アステアを讃えよ!!!!!! アステアのダンスは壮絶なまでに優雅で軽やかで、地上の一切の制約から解き放たれているように感じます。一方のジーン・ケリーのダンスは、なんというか、どこかドタバタしてる感じで、ただ身体能力が馬鹿みたいにすごいだけじゃん、とそう思ってしまうんですな。しかし、この ”I like myself” のシーンを改めて観直してみて、自分の認識が甘かったなあと大いに反省しました。
 ジーン・ケリーの魅力というのは、彼がいつまでもどこまでも少年のままでいたところにあるのだと思います。これは彼の欠点と表裏一体で、たとえば「雨に唄えば」で発音の先生の部屋を友達と一緒にめちゃくちゃにするとこなんかを観ると、てめえその歳になって何ガキみてえなことやってんだよと不快な気分になったりもします。でも、たとえばこの歌の場面のように、ふいに訪れた恋の喜びに、子供のようにはしゃぎまわる彼を観ると、他の何も目に入らないほど、魅入られてしまうのですね。今までは自分のことが嫌いだった。でも、彼女が自分を好きになってくれたから、自分でも自分が好きになれた。こんなのは、完全に思春期の情動です。アステアがこんなふうに歌っても、たぶん説得力なんか一ミリも出ないでしょう。でも、ジーン・ケリーがこう歌って、あの少年のような笑顔でドタバタ踊っているのを観ると、自分まで嬉しくなってきて、ああ良かったねえと、そう素直に思えるんですね。
 年をとると、昔ぜんぜん食べれなかったものが、おいしく食べれたりしますよね。ひじきとか筑前煮とか。それと同じように、歳を重ねるにつれ、昔は好きでもなかったスターの眩しさが、少しずつ分かってくるんですねえ。おっさんになるのも、悪くないかもしれんです。

 

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ΜΑΚΑΡΙΟΙΟΙΠΤΩΧΟΙΤΩΠΝΕΥΜΑΤΙ

 ちいさいころはかみさまがいて。
 むかし、神谷美恵子に傾倒していた。どこでその名前を知ったのかは今では覚えていない。もしかしたら、松岡正剛の千夜千冊あたりで存在を知ったのかもしれない。ただ、深くはまり込むきっかけになったのは、今は亡き旧名取市図書館で『うつわの歌』に出会ったことだろう。彼女が訳したジブラーンの「予言者」は、それからしばらく、自分にとっての道標となった。バイト帰りに某図書館で「宗教について」を読んで、ひとりボロボロ泣いてしまうくらいには、自分はその本に没入していた。それくらい、当時の自分は、よく言えば純粋だった。
 それから、彼女の本をいろいろと読んだ。『こころの旅』、『生きがいについて』、『遍歴』などなど。特に彼女の自伝である『遍歴』は魅力的だった。華やかな来歴、しなやかな思考、強い意志、うつくしい文体。このように生きたいと、こんな人間になりたいと、無邪気にそう願っていた。
 あれから幾とせが経っただろう。本棚に唯一残っている『遍歴』を読み返してみたが、二三頁で限界だった。彼女の魂がうつくしくいられたのは、彼女の教養が豊かでいられたのは、結局、実家が太いからじゃねえかという感想を抱いてしまうのだ。当時の日本のトップカーストに生まれ、1920年台にスイスはジュネーブで学び、コロンビアで古典を修め、それから精神医学に転ずる。結局、彼女を育んだものは、経済的な豊かさに裏打ちされた文化資本ではないかと、そう思ってしまうのだ。そんな彼女が、こころの豊かさを説いたとしても、いまの自分にはなんの説得力もない。結局、豊かな人間はこころも豊かになるという、ただそれだけの話しではないのか。

 努力に努力を重ね、幾多の挫折を経て、ようやく何とか人並みの生活を確保するに至った。その過程で幾度も直面した現実として、人間の生は出自に制限されるというものがある。自由や平等なんて嘘だ。結局、自分のような育ちの悪い人間は、最初から足かせを付けた上でレースに出るしかない。でも、足かせのない人間は決してそれを認めようとしない。だから、世界ではそれはないとされている。だから、俺にもないと思っていた。
 神谷美恵子に耽溺していられたその頃、俺はとてつもなく貧しくて、でも、こころはどこまでも豊かだった。彼女のようになれば、彼女のように努力すれば、自分もあのように高貴な生き方が出来るものだと素直に信じていた。彼岸と此岸の間には架橋し得ぬ断絶があることを、自分には生まれながらの歪みと瑕があることを、当時は知らなかったから。あの頃、自分のこころはどこまでも豊かだった。己が心身の貧しさに、まだ気づかずにいられたから。

 さいわいだ、こころにおいてまずしいものらは。なぜならば、かれらのものだからだ、てんのくには。
 我らが主イエースース・クリストスは、とある山の上でそう仰られた。天国には心の貧しい連中しか入れないらしい。確かに、心の豊かな連中が一切いなければ、俺みたいなのが余計な妬み嫉みを抱く機会もなくなり、こころおだやかでいられるだろう。神は信じてないけれど、心の貧しさならば誰にも負けない。天国に行くのが楽しみだなあ。

【歌詞和訳つき】『ブレードランナー 2049』と"One For My Baby (And One More For The Road)"

 名高き『ブレードランナー』を観たのは何年も前のこと、大学図書館でのことだった。そこまで悪くはなかったけれど、自分にとってあまり響く作品ではなかった。当時は革新的だった世界観も、多くのエピゴーネンに触れていた自分にとっては、単なる歴史的遺物にしか思えなかったし、何よりも、主人公のデッカードにまったく感情移入できなかった。同じリドリー・スコットなら、『エイリアン』の方がずっと好きだな。そう思って終わった気がする。だから、気鋭のヴィルヌーヴが『ブレードランナー』の続編を撮ると決まり、映画界隈SF界隈が賛否両論で大騒ぎしていたときも、俺はそれを他人事のように眺めていた。そして封が切られても、結局映画館には行かなかった。今になってそれを後悔している。
ブレードランナー 2049』について語りたいことは沢山あるけれども、とりあえず今は、この ”One for my baby” に巡り合わせてくれたことを感謝するにとどめよう。まさかブレードランナーを観に行って、シナトラを教わるとは思わなかった。

 

 この曲はもともと1943年の『青空に踊る』(The Sky's the Limit)というミュージカル映画のために書き下ろされたものらしい。主演はもちろんフレッド・アステア。スタンダード・ナンバーと呼ばれるものは、起源をたどると大体アステアにたどり着く、なんて言ったら大げさだろうか。
 この曲のお披露目はなかなか強烈で、アステアはマスターに愚痴りつつ、おもむろにカウンターに立って踊りだし、最後には店を破壊し始める。アステアが映画で演じるのは大体のところ踊れるDQN。なのでこの所業にも驚きはない。ただ、儚く悲しい歌詞と、アステアのパフォーマンスはあまり噛み合ってないようだった。まあ、この場合、悪いのはアステアではなく、監督とか方なのだが。とにかく、初のお披露目の時点では、この曲の真価は発揮されていなかったように思える。
 そして、この曲に不朽の価値を与えたのは、他でもない、シナトラだった。

 

 Kががジュークボックスに硬貨を入れる。シナトラが現れ、この曲を歌い、そしてレイチェルが映し出される。完璧なシーンだ。映画と曲とが、深く深く呼応している。でも、両者のどこが対応しているか、俺はなかなか見抜けなかった。この映画を最初観たとき、”One for my baby” の “I” はKのことだと思っていた。事件が進んでいく中で、最愛の「彼女」を喪う彼は、言うまでもなく、作中の誰よりも孤独だ。しかし、ここが重要なのだが、彼は畢竟は「ジョー」なのである。そう、”One for my baby” の “I” は、Kでなくデッカードのことなのだ。愛するレイチェルを喪い、愛する娘を失い、自暴自棄になって世を捨てたデッカードを、Kは懸命に導く。その関係性が、グダを巻く ”I” と、それに付き合う “Joe” に重ね合わされているのだ。そう、Kは結局 “Joe” に過ぎず、この曲の主人公ではない。そんな彼を、この映画は主人公に選んだ。だから、俺はこの映画が好きなんだ。

 

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【歌詞和訳】Miss Annabelle Lee

 恋に浮かれて浮かれまくった男の舞い上がりっぷりがこれでもかと表現された曲。戦前に作詞作曲されたとは思えないくらいチャラチャラしてます。この "I" とやらは件のかわいこちゃんをホントにモノに出来てるんでしょうかね。適当に遊ばれてカモられてるだけなのでは。まあ、それはそれで幸福な経験だったりするんでしょうが。

 ちなみに、件のかわいこちゃんの名前はアナベル・リー。かの詩人ポーの傑作に由来しているんでしょうねえ。洒落てんなあ。あ、でも、あのアナベル・リーは最後は死んじゃったんでしたっけ。ううむ。

But our love it was stronger by far than the love
Of those who were older than we—
Of many far wiser than we—
And neither the angels in Heaven above
Nor the demons down under the sea,
Can ever dissever my soul from the soul
Of the beautiful Annabel Lee 

  なんつって。

 

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【歌詞和訳】I'll See You in My Dreams

 最近は仕事の夢を見ることが多かったけれど、気合を入れてうつくしい音楽をたくさん摂取するようにしたら、見違えるようにいい夢を見れるようになりました。こんないい曲を聴いた日にゃ、とびきりの美人の夢が見れそうです。

 

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【歌詞和訳】Yellow Magic Orchestra / CITIZENS OF SCIENCE

 YMOの大傑作アルバム『増殖』に収められた一曲。イカした曲作ってんじゃねえかよお、お前らよお。作詞は初期YMOの言語世界を支えた詩人クリス・モスデル。この歌詞がですねえ、むちゃくちゃ難しかった。とりあえず日本語に置き換えたはいいものの、何を言ってんのか全然わかんないの。たぶんまあ現代社会とか科学文明に対するある種の批評なんだろうなあとは思うのだけれど、そう装ったナンセンス詩かもしれないし、考えれば考えるほどドツボにはまるんすよ。もしかしたら、それが狙いなのかもしれん。こわいこわい。

 歌詞の途中のカギカッコでくくってるところは、実際にクリス・モスデル御本人が歌って(?)らっしゃいます。たぶん、後にも先にもこれっきり。なかなか尖ったいい声してらっしゃいます。

 とまあ、いろいろと書きたいことは山ほどあるのですが、残念ながらこの曲の話はここらで打ち止めです。マンションの一室に麻薬現行犯が潜伏しているという連絡が入ったので、これから逮捕に向かうのです。よーしここだな。警察だ!!!!!!麻薬現行犯で逮捕する!!!!!!!!!!!!!!!!!開けろ!!!!!!!!!!!!!!

 ――あ、だだだ、だぁれぇ~?

 

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【歌詞和訳】Jody Watley / Your Love Keeps Working On Me

 こないだ定食屋で飯食ってたらFMでメチャクチャ最高な曲が流れてきて、なんじゃこりゃと思って急いで調べたのがこの曲です。一途で熱くてそこはかとなくエロティック。いかにも90sなサウンドが、いま聞くとすごく新鮮ですね。

 歌詞は結構意訳してます。"I don't know what you do to me" はそのまま訳したらまあそのままなんですが、「どんな魔法を使ったの?」みたいな感じで訳してみました。意味合いはおんなじ、のはず。あと、”work on” は「~に有効である、影響する、効果を発揮する」みたいな感じらしいので、自分に有効である、効果を発揮するってので、もうちっと意味を汲み取って、~があるから自分は頑張れるー、みたいに訳してみました。

 

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