ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

現代ギリシア語の勉強をしています

 現代ギリシア語の勉強をしています。

 今年の頭くらいから、どうにもこうにも現代ギリシア詩が読みたくなって辛抱たまらなくなったので、冬の賞与(というか寸志? 雀の涙のような額でしたよ)が入るとすぐに、文法書だの辞書だの活用表だのをamazonさんでドーンと買ってやりました。

 勉強には基本的に、偉大なる関本至先生の『現代ギリシア語文法』を使っています。関本至先生は日本における現代ギリシア語研究の草分け的な存在で、その筋ではレジェンド扱いされている方なんですが*1、この文法書ひとつとっても、この方の天賦の才が随所に伺えて燃えてきます。なんつっても凄いのが、膨大な情報量を滅茶苦茶コンパクトに収めているところ。この文法書、なんと全部で220頁くらいしかないんですよ。そして、冠詞から文論にかけての、文法の中枢の部分に限ると、なんと140頁足らずしかない。なのに、この言語のエッセンスが完全に網羅されていて、しかも練習問題までついている(まあ、答えはついてないっすけど)。とんでもない名著っすよ。高津春繁先生の『ギリシア語文法』に並ぶマスターピースですよ。なんでこんな名著が絶版なんでしょうか。岩波あたりが版権を引き取ってオンデマンドあたりで復刊させるべきですよ。ちなみにおいらはamazonマケプレで5000円出して買いました。お賃金ってのはねえ、こういうときに使うんだよ!

 とりあえず勉強の仕方ですが、この関本文法を1日5ページくらいずつ読んでってます。読んで、活用が出てきたら覚えて、例文を訳して、練習問題を問いてって感じ。社会人になると、実用に関係ない勉強ってのが堪らなく楽しくなるんですよねえ。この勉強欲を受験生の頃の自分におすそ分けしてやりたい。

 あと、ギリシア語とかそこら辺の言語は動詞の活用が鬼なので、上記の文法書の補助として福田千津子先生の『現代ギリシャ語動詞変化表』なんてのも買いました。こいつは最も基本的な90語くらいの動詞の変化を、めっちゃ見やすい表にまとめてくれたものです。とりあえず理屈は抜きにして、ひたすら変化を覚えてってます。

 

現代ギリシャ語動詞変化表

現代ギリシャ語動詞変化表

 

 
 辞書はとりあえず以下の二冊を使ってます。どっちも良書。

 

現代ギリシア語辞典

現代ギリシア語辞典

 

 

Oxford Greek-English Learner's Dictionary

Oxford Greek-English Learner's Dictionary

 

 
 こいつは買うかどうか検討中。
 

Collins Greek-English Dictionary

Collins Greek-English Dictionary

 


 現状は、関本文法が今月中には一周終わるかなというところです。名詞形容詞動詞といった一番やっかいなところを何とか切り抜けて、この言葉の全体が、おぼろげながら掴めてきたかなあという感じ。もともと学生時代に古典とコイネーをやっといたからか、覚悟してたほどではありませんでした。いや、十分十二分に手強いっすけど。あと、むかーしのギリシア語と色々変わってて、そこら辺が興味深いっスね。与格や不定法が消失してたのはびっくらこきました。不定法がないのは、ホンマにホンマかいなという印象。あと、動詞の変化が古典やコイネーと比べて見違えるほどに覚えやすくなってたのは助かりました。頭に小辞をつければ、それだけで法が変わるとか最高過ぎ。

 関本文法は最低でも二周する予定。二周して、自分の実力にまだ不安があったらもう一周。とりあえず大丈夫かなと思ったら、現代ギリシア詩の和訳をちょこちょこしていこうかなと思っています。とりあえず、ノーベル文学賞を受賞したオディッセアス・エリティスの全詩集をこないだポチって、まだこないかなーと待ってるところ。本当は中井久夫先生の名訳で知られるヤニス・リッツォスを読もうと思ってたのですが、この人あんまり多作過ぎて全集の数がものすごいことになっててマンモスヤバかったんスよね。それに比べてエリティスの場合、なんと全詩集が一冊に収まってしかも38.8ユーロ(4650円くらい?)と来た。文学も結局は資本で規定されるんです。ごめんねリッツォス。いつか迎えに行くからよ!

 とりあえず、エリティスの『モノグラム』という作品の最初と最後の連を試しに訳してみました*2池澤夏樹先生の『ギリシアの誘惑』に収められた同氏の訳に大きく依拠はしていますが、なんとかかんとか訳せました。はようバリバリ読めるようになりたいんじゃ。まあ、焦らずゆっくり行きます。途方に暮れるほど、まだ人生は長いのですし。

 

Θα πενθώ πάντα -μ' ακούς;- για σένα,
                                   μόνος, στον Παράδεισο

ぼくはとこしえに嘆くだろう――聞こえるかい――きみゆえに
ひとり、楽園で

 

Στον Παράδεισο έχω σημαδέψει ένα νησί
Απαράλλαχτο εσύ κι ένα σπίτι στη θάλασσα

Με κρεβάτι μεγάλο και πόρτα μικρή
Έχω ρίξει μες στ' άπατα μιαν ηχώ
Να κοιτάζομαι κάθε πρωί που ξυπνώ

Να σε βλέπω μισή να περνάς στο νερό
Και μισή να σε κλαίω μες στον Παράδεισο.

楽園でぼくはひとつの島を刻んだ
きみにそっくりで 海の中には一軒の家

大きな寝台と小さな扉と共に
ぼくは深みにひとつのこだまを投げた
朝起きるたびに鏡を見るために

きみの片割れが水の中を過ぎてゆくのを見るために
そして 残るきみの片割れについて楽園の中で泣くために

【歌詞和訳】Paul McCartney and Wings / Live and Let Die(『007 死ぬのは奴らだ』OPテーマ)

 どうも、不詳わたくしめ、ムーア・ボンド原理主義者の母を持つダルトン・ボンド原理主義者でごぜえます。どうも、どうも。自分は割と映画が好きな部類なのですが、間違いなく母の影響だと思います。うちの母は60年代~70年代の娯楽映画がたいそう好きな人間で、スティーブ・マックイーン主演の『パピヨン』とか、007シリーズとかの魅力をおいらに教えてくれました。いい母だなあ。そんな母が歴代ボンドの中でいちばん好きだったのがロジャー・ムーアでした。全身からむんむんと薫る軽妙洒脱さに、母は完全にイカレておりました。しかし、息子というのはいつの世も不肖なもの。おいらは母の「ムーア・ボンドこそ至高」という金科玉条に背き、ティモシー・ダルトンのボンドこそ我がボンドと思うようになってしまいました。そのことは母にどうしても伝えられませんでした。息子がこんな背徳を犯すなど、母にどうして耐えられましょう。しかし、どうしてもここで告白せざえるを得なかったのです。もう、これ以上、秘めておくことは出来なかったのです。だから、せめて、母が一番好きだったOPテーマを訳すことにします。一番好きだった、と言っても、作品自体は全然好きじゃなかったみたいですが。母のベストは『私の愛したスパイ』。わかる。確かにあれは最高。

 

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【歌詞和訳】Smoke Gets in Your Eyes

 この世に数多ある失恋ソングの中でも間違いなく最高峰に位置する曲でしょう。「煙が目に染みる」って訳した人の功績は本当に偉大。ザ・プラターズが歌ったバージョンが一番有名なのであんまりピンとこないかもですが、歌詞を見る限り、若い女性が失恋した歌なように思います。そんな感じで訳してみました。

 あと、この曲いろんな映画とかドラマでも劇伴として使われてますが、個人的にはエドワード・ヤンの『恐怖分子』で流れてたのがいちばん印象的ですね。おっそろしく美しい映画だったなあ、あれも。はようク-リンチェみたいんじゃ。

 

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市民図書館にまつわる自分語り

 思えば、これまでの人生で、ずいぶんと色んな道を走ってきた。国道、バイパス、裏道に獣道。靴底や自転車のホイール越しに感じたそれらの道の感触は、俺の中のいちばん深いところに沈み、今もなお、耳をすませば辛うじて聞こえる位の微かな声で、何か楽しげな歌をうたっている。そんな中、ひときわ大きな声で、ひときわ美しい歌をうたう道がある。定禅寺通りだ。欅と銀杏の鮮やかな並木がどこまでも続くその道を、俺は、どの道よりも深く愛した。特に、予備校時代は毎日のように、自転車を降りて、その道を歩いた。まず眼に入るのが第一生命ビル。それから、緑を基調とした信用金庫。後に名前が何度も変わる宮城県民会館。その次にくるビルの中には、たしかキリスト教書店が入っていて、そこで十字架の聖ヨハネの本を買った記憶がある。そして、ガソリンスタンドの向こうに、空想科学的としか言いようのない、特異な建築物が姿を現す。せんだいメディアテークだ。
 せんだいメディアテーク仙台市教育委員会が運営する複合型文化施設で、建築に疎い俺ではとても表現できないような、ものすごく斬新なつくりをしている。前面ガラス張りで、チューブが網の目のように絡み合って出来た何本かの巨大な柱が、上から下までを貫いている。どこまでも無機的なのに、まるで一個の巨大な原生動物のようにも感じられる、そんな建物だ。真夏の真昼に、住んだガラスの壁に並木の緑が鮮明に反射されているのを見ると、まるで建物が木々の一部になっているように感じられた。そこには確かに息吹があった。そんな建物は、後にも先にもあれだけだろう。
 建物の向かって左にある小さな駐輪スペースに自転車をとめる。入り口を抜けると、視界いっぱいにオープンスクエアが広がる。そのスペースでは日ごと月ごとに色んな催しが行われていた。北欧の画家の個展。チベットの現状を記録した写真展。新人書家の作品展。あの入り口を潜るごとに、俺は知りもしなかった様々な文化に、否応なしに触れることになった。それがどれだけ貴重で豊かなことか、今になってやっと理解できる。
 一階の催しをぐるりと回ったら、向かって左側にあるエスカレーターで上に昇る。2階は新聞雑誌やAV資料を閲覧できるライブラリー。そして3階と4階には、市民図書館が入っている。
 せんだいメディアテーク全体の特徴として、白と銀とが広がる中に、点々と赤が散りばめられていることが挙げられる。市民図書館にしても、床も壁も天井も、机も書架も白か銀なのに、椅子だけは目の覚めるような赤だった。先に述べた太く丸い透明な柱を、赤い椅子がぐるりと囲んでいたのを覚えている。よく、そこに座って本を読んだ。本から目を上げると、ガラス越しに、定禅寺通りが見えた。そこを歩く一人一人の人間に固有の精神と感情と歴史があるのだと思うと、読んでいる本の重みを増した。この活版の文字のひとつひとつの向こうに、血の通った人間が、確かに生きていたのだ。あのころの自分は、そんな風に感じることが出来た。
 もちろん、そこでは沢山の本を読んだ。たとえばエリアーデの「ダヤン」。魔術的な装丁の『エリアーデ幻想小説全集』ももちろん好んだが、この作品に関しては、野村美紀子訳の赤い装丁が印象深い。不死の彷徨えるユダヤ人に導かれ、この世界を超越し、真理の世界へと消えてゆく主人公のダヤンに、俺はどこまでも憧れた。彷徨えるユダヤ人つながりで、ラーゲルクヴィストの『巫女』を読んだのもここだった。また、『ロシアの宇宙精神』を通してフョードロフに初めて出会ったのもここだったし、吉本隆明の「マチウ書試論」に初めて挫折したのもここだった。でも、いちばん印象に残っているのは、シュティフターの「水晶」だ。そこで読んだのは、ポプラ社の『諸国物語』に収められた手塚富雄訳だった。まさに水晶のように煌めく文体で物語られる、小さな兄妹のこの冒険に出会ったときの感動を、俺は決して忘れない。
 さて、本に満足したら、次は映画が観たくなるのが人の常。ということで、お目当ての本を読み終えたら、2階のライブラリーで映画を一本観るのが決まりだった。そこで観た映画はどれも、色彩が印象的な作品ばかりだ。たとえば、ベルイマンの『叫びとささやき』の暴力的な赤。タルコフスキーの『鏡』の中の、吹き抜ける風に波打つ草原の緑。キェシロフスキの『トリコロール/青の愛』も外せない。青みがかった病室の中で睡眠薬を頰張るも、それをぽろぽろと口から零し、どこまでも澄んだ無垢な眼で、死ねなかったと呟いたジュリエット・ビノシュ。そう、ジュリエット・ビノシュに出会ったのもここだった。カラックスの『汚れた血』を通して。
 ここのライブラリーでは、カラックスの『ボーイ・ミーツ・ガール』と『汚れた血』を観た。『ボーイ・ミーツ・ガール』も才気溢れる傑作だったが、『汚れた血』は別格だ。それは、色んな意味で、当時の自分に突き刺さる映画だった。
 冒頭から凄い映画だとは思ったが、主人公のアレックスが夜の道を疾走する場面で、これは唯一無二の作品だと確信した。だが、何よりも、ラストでアレックスが死んだのを観て、俺は本当に揺さぶられた。いや、揺さぶられたという表現は適当ではない。しかし、ではあの時の感情を、どう表せばいいのだろうか。とにかく、俺はそこで大きく動かされた。勝手な思い込みだろうが、俺はアレックスの死を見て、それを作ったレオス・カラックス本人の、死への渇望のようなものを感じてしまったのだ。そう、カラックスは死にたいんだ。少なくとも俺にはそう感じられた。でも、絶望してるから死にたいんじゃない。希望のうちにあるからこそ、死にたいんだと思った。当時カラックスはジュリエット・ビノシュと付き合っていた。いま作っている『汚れた血』が大傑作であることは、本人が一番よく分かっていただろう。あのとき、きっとカラックスは、人生で一番しあわせだったんじゃないかと思う。でも、利口なカラックスはきっと知っていた。人生は幸福ばかりではないと。この先には転落が、悪夢が潜んでいるかもしれないと。ならば、いま死んでしまった方が幸福なのではないか。そんな想いを、俺は勝手に受け取ってしまった。
 いや、違う。俺が抱いていた想いを、勝手に映画に反映させただけだ。
 市民図書館に足繁く通っていたころ、俺は夢を追っていた。夢を追って努力して、それなりに成果も出していた。でも、心のどこかでは分かっていたのだ。自分の夢が叶うことはないと。夢を追う過程は夢のように楽しいけれど、それもいつかは夢のように醒める。そして、夢が醒めても人生は続く。どこまでも無味乾燥な、苦難と退屈に満ちた人生。そんな道を歩くなんて、絶対に嫌だった。だから、あのころ、何となく、夢を追う道半ばで死んでしまいたいと考えることがあった。楽しく幸せな上澄みだけを満喫して、さっさと人生から降りた方がいいのではないかと、そんな風に考えることが、確かにあった。

 思えば、これまでの人生で、ずいぶんと色んな道を走ってきた。この足で、あるいは自転車で、若さに任せて突っ走ってきた。でも今は、たぶんもう走ることは出来ない。少し遠出をすればすぐに疲れるし、前みたいに貪欲に色んなものを吸収したいという気概も消えかかっている。当然だ。俺はもう若くもないし、求めるべき夢も持っていない。ただ、来る日来る日をやり過ごしながら、何とか生きているだけ。そう、あの頃の自分が予期していたように、果たして俺の夢は叶わなかった。そして、消化試合のような人生だけが残った。かつて、死をもって忌避したいと、半ば本気で願った道。でも、今も俺は生きている。これからも生き続けるだろう。もう二度とあの頃のように突っ走ることは出来ないけれど、かつて心震わされた曲を聴いて、同じように深く、でも全く違ったように奮い立つことは出来る。ならば、それでいいんだと思う。それだけあれば、きっとやっていける。

There's no sign of life
It's just the power to charm
I'm lying in the rain
But I never wave bye-bye

But I try
I try

生きてることを示すものは何もない
誘惑してくる力に過ぎない
俺は雨のなか突っ伏してるけど
でも手を振って別れるつもりはない

やってやるさ
やってやるよ

David Bowie, Modern Love

【歌詞和訳】Cliff Richard and The Shadows / Summer Holiday

 穏やかな幸せに溢れた曲。自分の中で夏休みっつったら、大江千里のアレかこの曲ですね。いやですね、俺にだって青春満開の夏休みなんてのもありましてね、ダチ公と海に行ったり山に行ったり映画に行ったり楽しかったっすねえ。そういう、たぶん誰もが少しは経験したであろうしあわせが、見ごとに詰まった曲だと思います。最高。クリフ・リチャードほんまにイケメン。

 ちなみに、弊社には夏休みはありません。

 

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【詩和訳】ハリール・ジブラーン『狂人』より「完全な世界」

 なんか久しぶりにハリール・ジブラーンのThe Madmanを訳してですね、やろうじゃないかというコーナーですね。テクストはみんなのヒロインProject Gutenberg Australia*1です。今日訳したのは "THE PERFECT WORLD"という作品。この詩集の最後を飾る詩篇です。完璧な秩序によって統制されたこの世界に対する違和感が表明されています。このような、自分が住む世界への違和感が正しく方向づけられると、それは、ここにはない何かへの憧憬となる。そして、その憧憬にかたちを与えると、詩になるんじゃないでしょうか。なんか読んでて、そんなことを感じました。なんつってつっちゃった。

 

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【歌詞和訳】The Mills Brothers / Paper Doll

 三次は糞! やっぱ二次元嫁最高! という内容の曲です。これが戦前の曲だっていうんだから、メリケンさんの先見性には目をみはるばかりです。ギブミーチョコレート。ただ、この曲の"I"は俺たち限界オタクみたいに、三次元の女性から見向きも去れないのでフィギュアに走った訳ではない様です。むしろ、豊富な女性経験から、やっぱ三次はないっすわ、二次元最高っすわ、という結論に至ったようです。なにそれカッコイイ。

 ちなみに、この曲ではやったらめったら"doll"って単語が使われるんですけど、これって「人形」と「人間の女性」のどっちの意味も含んでて、かなりややこしいんですよね。とりあえず何とか自分なりにくみ取って訳してみましたが、まああんまり信用しないようにおねげえしますだ。

 

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