ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

秋山晟『空になる青』復刊リクエスト

復刊ドットコムにて、秋山晟の幻の傑作『空になる青』の復刊リクエストへの投票を募っています。是非、一票をお願いします。

 

www.fukkan.com

作品については以下の記事で紹介しています。

 

lacondizioneoperaia.hateblo.jp

「わたし」にまつわるエトセトラ

 会社で指摘されて気付いたのだが、自分は一人称の「わたし」を書く際に、一貫して漢字の「私」でなくひらがなの「わたし」を使っているみたいだ。そんな馬鹿なと思って自分の書いたものを読み返したら、ホンマかいな、確かにほぼ全て「わたし」だった。完全に無意識だった。それで会社帰りにどうして「わたし」なんだろうなあと考えて、自分なりに理由をでっち上げてみた。

 

 自分は基本的に、自己というものは他者にとって相容れない存在で、包み隠さない自己は他者にとって刺々しく感じるだろう、と認識している。だから他者と関わる際には、自己を巧みに梱包し、棘を隠さなきゃいけないと思っている。まあ、当たり前のことですが、その当たり前が分かんねえ奴が多くてなあ、世の中とインターネットなあ。

 

 それを勘案したうえで漢字の「私」を見てみると、なんでしょうこう、すごくトゲトゲしてるんですよね。針がこうピッピッと突き出してる感じで、何となく鋭利な印象がある。そして、自己という存在を、たった一文字で言い現している。これが私だ。これこそが私なんだと、ありのままのかたちで、遠慮なくゴロンと提示しているような印象があるんですね。これはいけない。

 

 対してひらがなの「わたし」を見てみると、実に対照的なことが分かります。中央に位置する「た」は「私」と同様、直線がつきだしているようなデザインで、これまた鋭利な印象を受ける。でも、それをつつむ「わ」と「し」は逆に、まあるい曲線が目を引くやわらかな文字です。つまりこれは、鋭利な自己をやわらかな皮で包み込んでいる構造なんですね。だから、とてもしっくり来るのかもしれない。

 

 冒頭で「わたし」ばっかり使っていると職場で指摘されたと書きましたが、だからといってそれでダメだと言われたわけではありません、念のため。みんな大体漢字なのに全部ひらがなだよねーみたいな感じでした。なのでまあ、これからもわたしは「わたし」を使い続けちゃろうと思います。あと、ありのままの自分を受け入れてほしいという想念は社会的に害悪なので死滅してほしいと思いました。おわり。

【詩和訳】オディッセアス・エリティス『定位』より「記念日」

 現代ギリシアノーベル賞詩人オディッセアス・エリティス(1911-1996)の詩を訳してます。今回は処女詩集『定位(ΠΡΟΣΑΝΑΤΟΛΙΣΜΟΙ)』から「記念日(ΕΠΕΤΕΙΟΣ)」を訳してみました。

 Jeffrey CarsonとNikos Sarrisは、この作品を「もしかしたらエリティスの最初の偉大な詩かもしれない(Perhaps Elytis's first great poem)」と評しています*1。これ以前の詩も滅茶苦茶好きですが、彼らの評にも頷けるところはあります。これ以前の詩においてエリティスは、エリュアール等を通して摂取したシュルレアリスムの影響を強く受けています。それらの作品においてエリティスは、後の堂々たる作品の萌芽をそこここに覗かせつつも、畢竟は一人のシュルレアリストに過ぎなかったのかもしれません。しかしこの作品において、エリティスは遂にシュルレアリスムを自らの統御の許に置くことが出来たのではないでしょうか。この詩篇は、時折シュルレアリスティックな顔を効果的に覗かせつつも、全体的にはレスボスの抒情詩を彷彿とさせる、古典的な佇まいを見せています。ここにおいてエリティスは、エリュアールとブルトンの単なる追随者を脱し、超現実的な手法をもってギリシアの伝統を再生させる真の詩人となった、と言ったら過言でしょうかね。どうでっしゃろ。

 個人的には、そんな記念的な詩篇が「死」を主題にしているところも興味深いですね。特に、恐らくは一個人の死を主題としているところに。これが後の『アルバニア戦線で斃れた一少尉に捧ぐ英雄的な悲歌』を経て、『アクシオンエスティ』に至っては、戦争に伴う大量死が扱われるようになるんですよね。そこら辺の変遷も、きちっと辿れればなあと思います。

 にしてもまあ、これが二十代の作品だってんだから、天才ってのは凄いですな。ベルイマンも『野いちご』を三十代で撮ったし、芦奈野ひとしも『ヨコハマ買い出し紀行』の大半を三十代で描いたし、才能のある人間は若くして全人生を見渡せるんですかねえ。

 

*1:The Collected Poems of Odysseus Elytis, tr. by Jeffrey Carson and Nikos Sarris, Johns Hopkins University Press, 1997, p.18

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【詩和訳】オディッセアス・エリティス『定位』より「オリオン」

 現代ギリシアノーベル賞詩人オディッセアス・エリティス(1911-1996)の詩を訳してます。今回は処女詩集『定位(ΠΡΟΣΑΝΑΤΟΛΙΣΜΟΙ)』から「オリオン(ΩΡΙΩΝ)」を訳してみました。この作品、一人称が全部複数なんですよね。そこら辺も含めて、いろいろと深読みしたくなるような作品です。

 

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【詩和訳】オディッセアス・エリティス『定位』より「第五の季節に面した窓」

 現代ギリシアノーベル賞詩人オディッセアス・エリティス(1911-1996)の詩を訳してます。今回は処女詩集『定位(ΠΡΟΣΑΝΑΤΟΛΙΣΜΟΙ)』から「第五の季節に面した窓(ΠΑΡΑΘΥΡΑ ΠΡΟΣ ΤΗΝ ΠΕΜΠΤΗ ΕΠΟΧΗ)」を訳してみました。アンドレ・ブルトンの『溶ける魚』やジュリアン・グラックの『大いなる自由』などを彷彿とさせる、シュルレアリスムの色彩の濃い典雅な散文詩です。恐らく自動記述の手法で書かれたためでしょう、自由な観念の自由な結びつきの祭典のような内容で、なのに、海や自然への賛美がそこはかとなく滲み出ています。まさしく、シュルレアリスムギリシアとの幸福な婚姻の産物と言えるでしょう。訳文からも伺えるでしょうか、たいへん難解な詩で、分量も相まって訳し終えるのに12日もかかりました(まあ最大の戦犯は労働なのですが)。しかし、テキストと格闘している間、本当に満たされた気持ちでありました。美しい詩は、その美しさだけですべてを救うのだと、改めて実感しましたねえ。この詩は訳し終えてしまいましたが、エリティスの全詩集にはまだまだまだまだ膨大な傑作が残されています。素晴らしい。

 

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【詩和訳】オディッセアス・エリティス『定位』より「七連七行夜想曲」

 現代ギリシアノーベル賞詩人オディッセアス・エリティス(1911-1996)の詩を訳してます。今回は処女詩集『定位(ΠΡΟΣΑΝΑΤΟΛΙΣΜΟΙ)』から「七連七行夜想曲(ΕΠΤΑ ΝΥΧΤΕΡΙΝΑ ΕΠΤΑΣΤΙΧΑ)」を訳してみました。その名の通り、七行からなる七つのスタンザから構成された作品で、これまたその名の通り、音楽的な官能に満ちた佳品です。自分としては、VI連がなかなかうまく訳せたんじゃないかと思います。逆に、IV連とVII連はちょいと自信がありません。詩を訳すって面白いけど難しいっス、ほんとに。

 

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【詩和訳】オディッセアス・エリティス『定位』より「第二の本性」

 現代ギリシアノーベル賞詩人オディッセアス・エリティス(1911-1996)の詩を訳してます。今回は処女詩集『定位(ΠΡΟΣΑΝΑΤΟΛΙΣΜΟΙ)』から「第二の本性(ΔΕΥΤΕΡΗ ΦΥΣΗ)」を訳してみました。超現実性と、伝統的な愛や真善美に対す讃美が調和したすんばらしい詩でございます。訳してる間、滅茶苦茶しあわせでした。ただ、そのすんばらしさが訳文に反映できてるかというと微妙なところ。もっと精進せねばなあ。

 

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