読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ΕΚ ΤΟΥ ΜΗ ΟΝΤΟΣ

熱い自分語り

秋山晟『空になる青』復刊リクエスト

復刊ドットコムにて、秋山晟の幻の傑作『空になる青』の復刊リクエストへの投票を募っています。是非、一票をお願いします。

 

www.fukkan.com

作品については以下の記事で紹介しています。

 

lacondizioneoperaia.hateblo.jp

【詩和訳】オディッセアス・エリティス『定位』より「第五の季節に面した窓」

 現代ギリシアノーベル賞詩人オディッセアス・エリティス(1911-1996)の詩を訳してます。今回は処女詩集『定位(ΠΡΟΣΑΝΑΤΟΛΙΣΜΟΙ)』から「第五の季節に面した窓(ΠΑΡΑΘΥΡΑ ΠΡΟΣ ΤΗΝ ΠΕΜΠΤΗ ΕΠΟΧΗ)」を訳してみました。アンドレ・ブルトンの『溶ける魚』やジュリアン・グラックの『大いなる自由』などを彷彿とさせる、シュルレアリスムの色彩の濃い典雅な散文詩です。恐らく自動記述の手法で書かれたためでしょう、自由な観念の自由な結びつきの祭典のような内容で、なのに、海や自然への賛美がそこはかとなく滲み出ています。まさしく、シュルレアリスムギリシアとの幸福な婚姻の産物と言えるでしょう。訳文からも伺えるでしょうか、たいへん難解な詩で、分量も相まって訳し終えるのに12日もかかりました(まあ最大の戦犯は労働なのですが)。しかし、テキストと格闘している間、本当に満たされた気持ちでありました。美しい詩は、その美しさだけですべてを救うのだと、改めて実感しましたねえ。この詩は訳し終えてしまいましたが、エリティスの全詩集にはまだまだまだまだ膨大な傑作が残されています。素晴らしい。

 

続きを読む

【詩和訳】オディッセアス・エリティス『定位』より「七連七行夜想曲」

 現代ギリシアノーベル賞詩人オディッセアス・エリティス(1911-1996)の詩を訳してます。今回は処女詩集『定位(ΠΡΟΣΑΝΑΤΟΛΙΣΜΟΙ)』から「七連七行夜想曲(ΕΠΤΑ ΝΥΧΤΕΡΙΝΑ ΕΠΤΑΣΤΙΧΑ)」を訳してみました。その名の通り、七行からなる七つのスタンザから構成された作品で、これまたその名の通り、音楽的な官能に満ちた佳品です。自分としては、VI連がなかなかうまく訳せたんじゃないかと思います。逆に、IV連とVII連はちょいと自信がありません。詩を訳すって面白いけど難しいっス、ほんとに。

 

続きを読む

【詩和訳】オディッセアス・エリティス『定位』より「第二の本性」

 現代ギリシアノーベル賞詩人オディッセアス・エリティス(1911-1996)の詩を訳してます。今回は処女詩集『定位(ΠΡΟΣΑΝΑΤΟΛΙΣΜΟΙ)』から「第二の本性(ΔΕΥΤΕΡΗ ΦΥΣΗ)」を訳してみました。超現実性と、伝統的な愛や真善美に対す讃美が調和したすんばらしい詩でございます。訳してる間、滅茶苦茶しあわせでした。ただ、そのすんばらしさが訳文に反映できてるかというと微妙なところ。もっと精進せねばなあ。

 

続きを読む

【詩和訳】オディッセアス・エリティス『定位』より「不在の気候」

 現代ギリシアノーベル賞詩人オディッセアス・エリティス(1911-1996)の詩を訳しくぜのお時間です。今回は『定位(ΠΡΟΣΑΝΑΤΟΛΙΣΜΟΙ)』から「不在の気候(ΚΛΙΜΑ ΤΗΣ ΑΠΟΥΣΙΑΣ)」を訳してみました。彼が強い影響を受けたフランスのシュルレアリスムの薫りが濃く、かぐわしいっス。構文とかは極めてシンプルですが、かなり厳格な規則・内的秩序に従って書かれてることが伺われ、どれだけそれを理解して訳に反映できてるかは心もとないです。まあ、ぐだぐだいわずいきます。

 

続きを読む

【詩和訳】オディッセアス・エリティス『定位』より「エーゲ海に」

 現代ギリシアノーベル賞詩人オディッセアス・エリティス(1911-1996)の詩をぼちぼち訳してこうと思います。うんこみたいな訳なのでそこは初めにお詫び申し上げます。基にしたテクストとかは下の文献表に書いてます。

 今回は彼の処女詩集『定位(ΠΡΟΣΑΝΑΤΟΛΙΣΜΟΙ)』(1940)の巻頭を飾った名詩「エーゲ海に(ΤΟΥ ΑΙΓΑΙΟΥ)」を訳してみました。彼の全作品を貫くモチーフが余すところなく現れており、エリティスは初めからエリティスだったのだなあと感動します。

 

続きを読む

【歌詞和訳】Will this be the song I'll be singing tomorrow(『死亡遊戯』EDテーマ)

 うちの母親は大変立派な人間で、物心ついたばかりの俺にブルース・リーの映画をたらふく与えてくれた。小さい自分には難しい話は何も分からなかったけれど、格好いいヒーローがカンフーで敵をやったらめったら倒しまくるのは痛快だった。それから今に至るまで、種々のカンフー映画を折に触れては摂取して生きてきたのだが、彼の遺作である『死亡遊戯』をちゃんと観たのはごく最近のことだった。未完成な内容が色んな人間にこねくり回されてる感じがして、これを観るのは本当にブルース・リーの意思に適うのだろうかと思ったのだ。果たして、映画自体は褒められたものではなかった。いや、ブルース・リーの演武はこの上なく素晴らしいが、やっぱり何というか、まだまだ手を加えるべきものを無理やり形にして世に出してる感じがした。でも、そこに大きな救いを与えてくれてたのが、名匠ジョン・バリーの音楽だ。OP曲のカッコ良さも特筆すべきだが、ここに訳したED曲が本当に本当に素晴らしかった。
 この映画のEDシークエンスには、過去のブルース・リー作品の名場面が散りばめられている。演武もあればラブシーンもあり、実に絢爛たる内容で、彼が短い生涯でどれだけの宝を残してくれのか、改めて確認させられる。でも、最後の最後に、ブルース・リーの最後の作品の幕引きとして選ばれたのは、芒の茂る草むらに、彼が独り座って、どこか不安そうな表情を湛えている場面だった。それはもちろん、単なる映画の一場面であり、演技に過ぎない。でも、そこからは、カリスマや天才の奥に潜む、ブルース・リーという人間の姿が垣間見えるように感じた。彼は天才だった。空前絶後の天才だった。でも、その才能ゆえに、彼は孤独だったんじゃないかと思う。確かに彼は良き師にも、素晴らしい家族にも恵まれたが、それでも、彼は究極的には孤独だったんじゃないかと思う。最後の最後に、この映画は、そのことを暴露したように思った。でも、そこで流れるのがこの歌なのだ。自分と共にいる人の心を慰めるために、美しい歌を探す歌。それはもしかしたら、彼に魅了され、彼を愛したすべての人の望みと願いをうたったものなのかもしれない。『死亡遊戯』は決して褒められた映画ではないかもしれないけれど、でも、彼のフィルモグラフィーの最後が、こんなにもうつくしい祈りで締めくくられたことだけは、100パーセント肯定したいと思う。
 えっと、まあ、あの、すっげえいい歌です。ほんっとうにいい歌。ジョン・バリーありがとう。

 

続きを読む